松江は夜も朝も静かだったが、街中は賑わいがある。

 

少し街外れに向かって歩くと大きな河があって、松江城のお堀や宍道湖と相まって水の都という印象を受ける。

 

思えば、こんな風に朝から街中を散歩する気分になる事も久しぶりだ。

 

それだけ、何処か惹かれるものを感じたのかもしれない。

 

松江に限らず、山陰は人口減少が相当らしいが、俺には趣もあって良い街だと思えた。

 

ただし、目的地は出雲大社なので、散歩を終えると松江を後にした。

 

出雲大社に向かう際、9号線の街道沿いは大型店が沢山進出しており、割とどこでも見られる景色という印象だった。

 

大社の手前にワイナリーを発見したが、どうせ買っても我慢するだけなので寄らずに通り過ぎた。

 

まだ10前後なのに車も増えてきたし、思っていたより車も進まない。

 

トイレにも行きたくなって、大社に近い歴史博物館に車を入れた。

 

流石に車を置いて、トイレだけとのいうのも気が引ける。

 

成り行きで博物館の展示も見る事にした。

 

博物館内は、古代から近代までの時代が解りやすく展示されており、特に近代の展示には興味を惹かれた。

 

展示を見ながら、世界遺産の石見銀山を訊ねようかとも考えたが、楽しみは次回に回した。

 

出雲大社に来るのは4度目くらいだが、やはりこういう場所は気持ちが落ち着く。

 

今回は参拝のついでに絵馬を書いてぶら下げておいた。

 

もちろん、願った内容は内緒である。

 

博物館で案外時間を使ってしまったので、参道のお店を覗くのはよそうと思ったが、賑わいに釣られて足を向けてみた。

 

ただ、こういう場所では肩身の狭さを感じるので、早々に退散する羽目に…。

 

博物館から出て大社の駅方面に行こうと思ったのだが、混雑もあって抜け道っぽい裏道を走った。

 

何処をどう走ったのかはよくわからない。

 

しかし、住宅街の中には予想外の景色があった。

 

風情のある水路があって、水鳥も羽を休めている。

 

メイン通りの賑わいとは無縁の静けさがそこにはあった。

 

地元の人には何という事のない景色だろうが、俺にはこの旅で一番心を惹かれる景色だった。

 

なんともこの場所に相応しい景色というのか、とにかく俺はここに来たという思いを刻むには十分な感銘を受けた。


俺の出雲はここにあったんだ!そんな気分に浸る事暫し。

 

車を止めてのんびりという場所でもなかったので、後続車に気を遣ってその場所を後にした。

 

結局は旧出雲大社駅も工事中で、近くの道の駅で足湯につかって出雲を出発だ。

 

車に乗り込むと、このまま故郷に帰省して日常に戻るのは違うように思えた。

 

その場の雰囲気で、帰り道は9号線を走って鳥取道から京都まで戻る事にした。

 

途切れた高速道路や道の駅を楽しみながら、日本海を眺めて大きな風車に異世界を感じながら、俺の休日は終わりへ向かった。

 

最後は渋滞と、真っ赤なテールランプの群れを懐かしんで終わった休日だったが、それでも俺には十分な憩いの時間だった。

 

旅の終わり、今更ながら独りの時間の活かし方を学んだような気がした。

 

肝心の紅葉は見れなかったので、機会があれば、再度同じような時間を持ちたい。