思い返せばいつかは、あいつに出会ったときの記憶がない。



あいつに出会うまでいつかは、ずっとずっと、生きにくさを感じていた。

自己犠牲が美徳と言われる国の空気に完全に潰されて生きていた。


いつかがあいつに出会ったのは、そんな風にぺしゃんこに潰されながらもう何年もひとりで戦っているある春のことだった。


あの頃のいつかはいつも不機嫌だった。


毎日疲れ、ただ毎日を消耗するだけだった。


人の顔を見て話すことすらできないあの頃のいつかに、あいつはいつもいつも優しかった。


そんな優しさすら全く気づけない上に、あまり人を寄せ付けない空気を纏っていたその頃のいつかだったけれど、あいつの態度はいつも変わらなかった。


そして、あいつに出会って2年経ったある年の夏、いつかの生活が急に一変した。


それまでいつかを縛っていたものから、突然解放されるようになった。


そして、やっといつかはあいつの存在に気付いた。

「いつもありがとう」心からあいつにそう思った。


そしてやっと、あいつがそこにいるだけで、安心する自分に気付いた。

あいつが側にいるときは、懐かしさを感じることに気付いた。

それは、とても有り難くて、大切なものだということにも、気付くようになっていた。

いつかとあいつの何かが、変わり始めていた。





めぐる季節は、いつかが悩んでいてもいなくても、ただひたすら各自の務めを終えれば次の季節にバトンタッチするというサイクルを繰り返していた。


いつのまにかあいつのことを想うようになっていたいつかは、冬には自分の気持ちをどうしていいかわからなくなっていた。


あいつの気持ちもいつかにあったことも、いつかにはわかっていた。

お互いわかっていたけれど、運命や試練があるのだとしたら、完全にふたりともその流れに飲み込まれていた。

相手を想うからこそ、ふたりともそれを形にすることができなかった。


お互い独身でも、今はその歯車が回る時じゃなかった。

それはいつかがたくさん傷付いてからやっと受け入れられることになるのだった。





そしていつかはいま、あいつをなんの根拠もなく信じるしかなかった。

もうすでにたくさん泪は流してきた。

心をざくざく刺されるような痛みも、繰り返し繰り返し経験して、もう、開き直るしかないような心持ちだった。


あいつが幸せならそれでいい。

けど、実際あいつが他の誰かと幸せになっている姿を、自分の目で確認することはできない、知ることも正直いやだった。

自分は人間らしいな、なんて考えていた。


見上げると空には、まんまるの満月がまた今日も上がっていた。


満月はいつかをいつも癒す。


悔しいけどあいつを愛していることだけは、これまでどれだけがんばっても否定できなかった。

今日の満月も、いつかのそんな心を全て受け入れてくれていた。

「お月さまがわかってくれているからそれでいい」



あいつを好きな自分がいつかは好きだった。

苦しくて苦しくて苦しくて。

そんな日の連続なのに、あいつに感じる温かい気持ちは、いつかの大切なものだった。