今日、たまたまピラティスの帰りに近くにあった激安の服が売っているお店に寄ったんです。
そのお店は、すごく安くて、品揃えが昔のセシール(若い人は分からないよね)みたいな通販で売ってる洋服みたいな感じなのですが、たまに、おや?と思うくらいデザインも生地もよいものが混ざっている。
何故だろう?と思っていたら、今日、その理由が分かりました。
2年前に、私がとあるブランドで16000円くらいで買ったスカートが、タグなしで2480円で売っていたのです
オールシーズン着れるスカートで、とても気に入ってるので今もしょっちゅう着ています。二度見三度見しましたが、タグはなくても間違うわけはありません。
そのスカートは当時は人気があって、再販に再販を重ねていたはずだから、売れ残ってしまったのでしょうか。
色違いもあったので買おうかなと思いましたが、それはサイズが合わなくて諦めました。持ってる柄だけが同じサイズというのも笑える
審美眼があれば、何も高くなくても、質がよくて素敵な服が買えるのです。非常に勉強になります。
今日は引っ越して初めて区の図書館へ行って、利用者登録をして、占い師さんや鑑定士の方が書いている間取りの本を何冊か借りて来たんですが、私が習った太極(家の中心)の求め方とはあまりにも違いすぎて、ひっくり返りそうになりました。
方位鑑定に際して家の中心をどこにするかというのは、大変に重要なのですが、この太極の考え方に流派によってかなり違いがあるのです。
とある有名な流派だと、問題を解消できる方位を太極にするために、神棚やお札を貼って、そこを太極としたり、暖炉を作って太極にしたり、あえて大黒柱みたいなものを設置してそこを太極としたり、はては家の主人の寝室を太極としたりしていて、えーっ!と思いました。
もちろんそうやって太極を求める流派もあるからなのですが、それにしても…な話で。
なぜ、そんな本が存在するかといったら、これはもう需要と供給の話で、太極がいかなる場合でも変わらなければ、依頼者の要望に応えることが難しくなるからですよね。要するに真実は都合が悪い。
私が教わっている気学は、家相が悪ければ引っ越さないと改善する方法がほとんどないので、引っ越せない人はどうしようもないのです。
古来から伝わる気学はそうだったはずなのに、徐々に変わってしまって、一体何が正しいのかも分からなくなってしまっているのは、そんな理由もありそうだなと感じました。
もし本当に太極を都合よく変えられるなら、私もそっちを信じたい。もちろん人間には想念の力があるので、そう思い込んだら変わる可能性はなくはないのかもしれません。
何が正しいかを判断するのは自分ですが、いかにラベルのないものを見て、いいものを見分けられるか、ですね。
でもいいものを見分けるためには、そこに対する知識がないと、なかなか難しいですね。