夜ならともかく、正直いって昼間は引率いらないよね、、と思ったりするのですが、方針としてそれがある。
長男は、いつも歩き慣れている道をたらたら引率で歩くのは時間の無駄、と言い、私が下にいるということにして、一人で走って帰って来ます。
でも、時折先生に見つかり、引率を受けて帰ってくる時もあります。
子供って、変なところをよく見ているなあと思うのですが、長男曰く、どの先生も、引率をする際には塾の名札を外すんだそうです。
でも、喜寿を超えてなお教壇に立つ塾長は絶対に引率の時も名札は外さない。名札をつけたまま、引率するんだよ、と言うのです。
それが何故なのかという話になり、長男が名札を外すのはその塾の先生ということを周りに知られたくないからじゃないか、と言いました。
逆に塾長は、骨の髄から塾長であり、生活のどこを切り取っても塾長。どんな時もどんな瞬間も、生徒のことや勉強のことを考えていそうだ、と言うのです。
確かにそうかもしれない。
あの先生はきっとそう。
真っ昼間であっても、長丁場の授業を終えて立ちっぱなしでどんなに疲れていても、生徒を引率しようとするのは防犯や塾としての責任を超えてる気がする。
大袈裟にいえば、目の前の子供たちを、未来の日本を担う大切な子たちだと信じているからなのではないか。
他の先生が、塾の先生という仕事に対してどれ程の熱意を持っているかは分かりませんが、少なくとも塾長ほどの熱量を持って子供たちには向き合っていないかもしれない。
たかが、引率時に名札を外すという行為一つでも、子供は見抜く。
100%子供に向き合っているのか見抜いてしまう。
先生に限らず、お母さん業も同じだなと思います。
子供は、お母さんが100%の気持ちで向き合っていれば、お母さんの期待に応えようとする。結果的には、そこには辿り着けなかったとしても、お母さんを喜ばせたいと思うのが子供。
でも、お母さんの気が少しでも逸れていたら。
子供のためと口ではいっても、それ自分のこと考えてるよ。自分がいいかっこしたいんじゃないの。自分のこと棚にあげて人にばっかり厳しいこと言ってんじゃないの。
なんて思われてしまったら、心を閉ざしてしまうのが子供。
はっきりいって、お母さんにはなっても四六時中子供のことだけを思って考えて行動するなんて、我が身を振り返ってみてもとんでもなく難しい。
たまにはお母さんってこと忘れたい時もある。美味しいものを自分だけで独り占めして食べたい時もあるし、自分のためだけに散財したいときもある。
以前塾長が、「受験生のお母さんは新しい洋服も買わないで下さい」と話していました。
特に男の子は、お母さんが新しい洋服を買ったりお洒落をすることに敏感に反応をしてしまい、集中がそがれるのだと。
その時は、そんなバカな。と思ったけれどもあながち間違ってはいないんでしょうね。
毎日厳しいルーティンをこなしていく上では、ちょっとした変化もマイナスに働いてしまいます。
服装などに現をぬかさず自分のことは構わず、子供のサポートだけに徹しろと、こういうことなのでしょう。
子供はそれを敏感に感じとるから。
親は常に子供に試されてますね。
とんでもなく厳しい目で、まっすぐな瞳で、親を一人の人間として見定めているんでしょうね。