昨日は次男が夜中に咳き込みすぎて吐いてしまいました。
シーツを汚してしまったし、これ以上咳き込むと上に寝ている長男を起こしたらかわいそうなので、とりあえずシーツだけをはいで、私と一緒に寝たのですが、
そんな話を長男にしたらこんな禁止テープが、、。
げぼをかたずけています。
立入禁止および禁煙
おおげさな。。
話は変わり表題の件です。
去年の長男の担任の先生がこんなことをおっしゃっていました。
「うちのクラスではありがとうを言い合おうと話しています。理由は、どれほどいってもメリットしかない言葉だからです。叱られるのはもちろん大人でもいやですが、じゃあ褒めるのがいいかと言うと、褒めすぎても、褒められなければやらない子になってしまうので難しいんです」
と。
確かに長男を見ていて感じるのは、失敗するのが怖いという気持ちです。
何でも初めてのことや、ちょっと難しいことにチャレンジする時、こう聞かれます。
「できなかったら?」
「できなくてもいい?」
私はいつも「できなくてもいいよ。でも一生懸命がんばって!」と声をかけます。
実際、そういうことで叱ったことはないつもりなんですが、長男はできなかった時、私がすごく失望するのではと不安に感じるようなんです。
本音を言えば、そもそも私は長男のことを普通の、十人並みの子だと思っているし、実際に本当にどこにでもいそうな普通の子なんです。
話し始めたのがすごく早かったので、もしかして。。なんて親ばか全開で淡い期待をしたこともありましたが、今は逆に普通の子で良かったとも思います。
天才児育てるのは並大抵のことではないですよ。
つまり何がいいたいかというと、すぐにできないことは織り込み済みなんですが、長男はそうは思ってない。
それは私がいつも褒めてきたせいなのかな、、と感じるんです。
常に褒められてきたから、がっかりされたくない、という気持ち。
反面、褒められることに慣れすぎて、絶対に頑張ろうとする気持ちも薄い。
そんな話を主人としていたら、
主人は「もう長男は小学生なんだから、結果を出す時期に来てるんだよ。だからいちいち細かいことを褒めないで、結果だけを褒めたほうがいい。そうしないと甘えが出るし、マザコンになるよ」
と。
「次男はまだ幼稚園なんだから、経過を褒めてあげたらいい」そうですが、
なるほどと思いました。
長男はもう何でもかんでも褒めるべきではない。干渉することを減らして黙って見守っていかなければならない年齢に来ているんだと思いました。
親も成長しなくてはいけないですね。
でもつい、「これまでと同じように」してしまう。
しかも次男がいると、公平という名のもとに、つい次男と同じ価値基準で接してしまうのですが、そこはもう少し考えないといけない部分なのかなと感じました。