主人が中学受験をしているので、二人が小さいころから主人の中でそれは当然のことだったようです。
なので私もそこを意識してずっと子育てをして来ました。
でも私は高校までずっと公立で、塾さえも通わず(というかない)に大学受験をしています。受験生の頃は、それこそ吐くほど勉強していました。
受験日、試験の途中休憩でふらふらになってトイレに行った時、垢抜けた女の子たちが鏡の前で群がって化粧直しをしていたのが今でも忘れられません。何でこんなに余裕あるんだろうと。
偏差値60もない位の大学です。
蓋を開けてみたら補欠合格。
と、いうことは、倍率から考えても試験日に見たトイレで化粧直しをしている子たちより、私は明らかにできていなかったということになります。
その時思いました。
これ以上できないほど頑張ったつもりでいたけれど、独学では能率が悪く限界があった、というのが一つ。
そして、すでにスタートラインから違っていて、都会の人たち(ここでいう都会は東京に限らず、通おうと思えば通塾できる地域をさしてます)は小さい頃から、塾を含めて色んな機会が地方出身者より多く与えられていて、そこの蓄積がそもそも違う、と。
効果的な勉強の仕方もわからなければ、アドバイスしてくれる大人もいない。まわりは短大か専門学校へ進む子が多くて仲間もいない。
そこの気づきというか、自分が受けたかった教育、欲しかった環境を、息子たちに与えてあげたい。というのが、私の教育の出発点になっている気がします。
でもそもそも、自分がそれほどの教育を受けていないので、主人から中学受験をさせると言われても、それが果たしてどういう意味を持つのかいまいち理解できない面があるんですね。
公立からでも東大に行く人はいる。地方と違って都会ならば、公立といえども意識の高い親は多いから全体としてレベルはそれほど低くない。塾にいくこともできる。
そもそも東大合格率で全てをはかるような傾向にもうんざりする部分もあり、わざわざ大人でも解けないような難問を、まだ小さい子たちに解かせる意味がわからず、中学受験をどう捉えていいかわからない部分もありました。
私が受けたかった教育や欲しかった環境は、もっと素朴なもの。
だからこそ、中学受験を語る時に自分の方針がぶれるんです。自分が上を知らない。その一点で。
そんな話を主人としていたら、
主人は「自分のレベルを上げたければ、母集団のレベルが高いところに行くしかない」というわけです。
「今はどうか知らんけど、昔は1番から最後まで全て名前が張り出されたからね。小学校ではずっと上のほうやったのに最初の中間テストが130人中50番で、みんなこんなできるんやとびっくりしたね。そこから頑張って最後は4番まで上がって表彰されたけど、やっぱりそれは受験しなければそんなにやれなかった。公立で常にトップの環境なら、どうしても井の中の蛙になるよ。」と。
「もちろん公立から東大に行く人もいるけど、入って終わりじゃないんだよ。そこで気後れしないでどの位自分のレベルを上げていくかなんじゃないの。公立でしかもずっと成績優秀で来てれば、大学に入っても仕事しても、優秀な人間見て面食らうだろうね」
という話でした。
「それは競争心がある子はいいのかもしれないけど、ない子にはキツイんじゃないか」なんて話をしたら、
「競争心を育てるのが親の仕事じゃないの?」と。
確かにそうなのかもしれない。
一つ一つ実績を積み上げて、そこでの競争に勝ち抜き、そのたびに所属するグループを変え、また一から努力する。
「それって勉強だけでなく仕事でも同じでしょ。現状に甘んじていたら成長できない。常に上を見ていける人間に育てていかないといけない。
こないだキミは算数のクラス分けの時、長男が休んだせいでクラスが下がったのは、それは実力じゃないからフェアじゃないんじゃないかと言ったけど、そもそもテストを休んだ時点で負けてるんだよ。日本は資本主義やねんから。」
私が、「日経なんか見ていても、みんな社長の学歴が高いよね。大学だけでなく小さいうちからいい教育を受けてる人が多いイメージ」なんて話をしたら
「社長は会社の看板だから、仕事ができるかとは別で、箔をつけるために学歴の高い人間にする。キミが卒業した大学か、ハーバードを出たやつかなら、そりゃあハーバード出たやつを社長にしたほうがいいと考えるよね。だから社長だから優秀な人間かはまた違う話。」と。
つまり、上のレベルを目指していくという意識。母集団全体としてのレベル。それこそが中学受験をする目的なんだということは理解しました。
もちろんそこで競争に負けてしまったり、しんどくなる子もいるかもしれない。
でもそこにキャッチアップしようともがく精神を持てる子になって欲しいという、主人の思いはよく分かりました。
今すでに、長男に与えている教育は、私も主人も受けたことのない恵まれているものです。
でもさらに上の教育をと彼は思っている。
教育こそが全てだと考えている。
主人は特に実家が裕福なわけでもなく中高一貫に進み、必死に勉強して今があるからこそ、なおさらそう感じるんでしょうね。