先日、野田聖子さんの私は母になりたかった、という障害を持つ息子さんとの1年を記録したドキュメンタリーを病院で見ました。
野田さんは卵子提供を受けて、昨年男の子を出産。
妊娠している時から、生まれてくる赤ちゃんに障害があることが分かっていたといいます。
野田さんといえば、以前事実婚の関係にあった議員さんとの間でも不妊治療を受けていたことが有名で、今回卵子提供を受けて妊娠したということを知った時、不妊治療を受けている私でさえも、そこまでしてどうして子供をと、理解に苦しむ部分もありました。
私の中では、不妊治療も体外受精まで、という明確な線引きがあり、代理母や卵子提供などは、たとえ可能な経済力があったとしても、そこまで求めるというのは、果たしてどうなのかと。
代理母も卵子提供も、もはや神の領域、侵してはならないような気がするからです。
野田さんのように、頭がよくて、努力をして成功体験を重ねてきた人は、頑張れば何でもできると思っているポジティブな人が多いように思います。でも私は、できないこと、不可能なことは理由があるように思えてならないのです。
何年も治療をしても子供を授かれないのであれば、自分の子供を産み育てることではない他の使命が、あるのではないかとか。
不妊治療には何の抵抗もない私にとっても、体外受精や顕微受精と、卵子提供や代理母というのは間にかなり大きな隔たりがあるのです。当然ですよね、日本ではまだ公的に認可されていないわけですから。。
ですから、野田さんのお子さんに障害があると知った時、驚きはしなかったのです。
とても辛いことですが、無理なことを通そうとすると、それなりの苦労があるような気がしたのです。
番組を見た後も、代理母や卵子提供への私のスタンスは変わりません。
でも、野田さんの子供への愛情とか、思いに、胸がしめつけられました。
私は、卵子提供を受けてまで母になることにこだわるのは、エゴだと思っていました。
それは野田さんだけでなく、自分に対してもです。
不妊治療をしていると、どんどん深みにはまっていくものです。どこで治療をやめるべきか、わからなくなるのです。それを知っているからこそ、どこまでも子供にこだわるのはエゴだと、私自身自分にいいきかせてきた部分もあります。
でも。。
卵子提供を受けてまで母になりたいというのは、本当にエゴなのでしょうか。。
卵子提供を受けるかどうかはともかく、母になりたい、というのは女である以上、本能的なものでしょう。
それが叶わないこと、それを子供を産める女性が「エゴだ」と言うことの残酷さに気づきました。
それよりも、卵子提供を受けて産んだ子供に障害があっても誰のせいにもせずに、自分の子として懸命にともに闘っている姿を発信していくことで、どれほどの人が勇気づけられるかを考えたら、本当にすごいことだと。
卵子提供については理解できなくても、同じ子供の母親として、本当に感動したのは私だけではないでしょう。
でも、野田さんのように子供が欲しくてもできない人たちが声をあげてくれることで、不妊治療に対する世の中の理解や、議論がもっと深まればいいと思いました。
私個人的には、代理母や卵子提供は賛成ではありませんが、だからといって一律に法律で認めないというのはどうなのだろうと。
多くの人にとって、子供は人生のQOLに欠かせないものだと思うのです。
たとえば乳がんで乳房を失った人がQOLを向上させるために乳房再建手術を受けることをエゴだと思う人はいないのに、
子供が欲しくて海外にわたり代理母や卵子提供を受けることはエゴだと思われてしまうのは、QOLには変わらないのにどうしてだろう?と。
さまざまなことを考えてしまいました。
野田さんが障害のあるお子さんを授かったのも、何かの意味があるのだと思います。
これからも頑張ってほしいと心から思います。