「ある」前提で生きる
とよく言いますが、
「すでにある」とわかりきってるものに対しては
追わないですよね。
例えば
「本棚が(一個)ある」
「椅子が(2脚)ある」
「机が(1つ)ある」
「観葉植物の鉢が(2つ)ある」
って、私にとってはもうこれ以上いらないわけです。
「お金がある」
となった時に、なぜ、お金は(1個)ある、にならないのか、考えてみました。
お金はたくさんあればあるほど、
欲しいものが買えます。
だから
「お金がたくさん欲しい」となって、
それは渇望や、執着になります。
「お金がある」
と綺麗に腑に落ちてる方は、たぶんここが
「お金が( )ある」
( )内
・1000円ある
・クレカの引き落とし分ある
・1ヶ月の生活費がある
かっこの中の部分をいちいち数えたりしないんです。
超お金持ちは
「昨日は資産が253,467,291,576円あったけど
今日は253,467,290,007円になった」
とかいちいち数えたりしないんです(笑)
先ほど、本棚や、机や、椅子や、観葉植物を出しましたが、
例えば
「書庫を作りたい」と思う人にとっては
「素敵な本棚が欲しい」
「この角とあっちの壁際とこっちと...」
とおまけをくっつけ始める。
そうすると、すでに「本棚が(一個)ある」状態なのに「手に入れるのが難しい」ものに変化する。
例えば
「来客用にもう3脚椅子が欲しい」と思う人にとっては
「今の椅子と統一感があるものを」
「来客用だからちょっといい椅子を」
「せっかくだから長く使えるよう、あそこのブランドで揃えたい」
などとおまけがくっついていく。
そうするとすでに「椅子が(2脚)ある」状態から
不足の状態を感じ始める。
と言うパターンかなと思います。
ですから
「お金がある」と思ったら
「でも来月の支払いの分は」「今度車検代が」とかくっつけないで、
例えば手元に「1円」でもあったら
「お金はある」んです。
ただ、そうは言っても「1円では何も買えない」と思うかもしれません。
私もそうだった。
ある時、令和7年の綺麗な500円玉が手元に来ました。
わあ、きらきら綺麗だなと思って、何気なくそれを握りしめてみた。
そうすると子供の頃に100円握りしめて駄菓子屋さんへ行ったことを思い出しました。
今は物価が高くなってしまったけど、当時は100円は子供にとって十分な軍資金でした。
500円なんてもう大金です。
なんでも買える、自分は王様になったような気持ちを思い出しました。
そうしたら、たとえ全財産が500円なら、500円玉を握りしめている自分は「超大金持ち」になるわけです(笑)
あの時の私たちは、「大金持ち」にもなれたし「王様」にも簡単になれた。
大人になって、知識が増えて「世の中にはもっとお金を持ってる人がいる」ことを知って、そこと比べ始めるから
だんだん「自分はお金持ちだ」って「思い込まないといけない」ようになる。
そんなことかなーって思いました。
童心に返って、「自分はめっちゃくちゃ大金持ちだ」って感覚を思い出してみてほしい。
ちなみに
「出し渋り」や「払ったことへの後悔」がよくないと言われるのは
その瞬間「不足」を感じ始めるからかなって思う。
そしてこれに付け加えると
「払ったことへの後悔」を感じないよう、事前にじっくり吟味する。
「出し渋り」の感覚を感じないよう、「自分が不要と思うものには払わない」
と言うことをしっかり考えるのも大切だなと思います。
「引き寄せ」はふわふわスピリチュアルと思われがちですが、「現実をしっかりと見る、その上で判断する」を見落としてると、沼にハマる気がします。
このブログを始めた頃はいろいろ上手くいかなくて模索して
「もうこうなったらどうでもいい!」
と言う気持ちで
「潜在意識にダイブする」
とつけました。
今の感覚はふわふわ泳いでる感覚に近いなと思ったので
「潜在意識を遊泳する」
に変えてみました。
引き続きよろしくお願いします。