「人の魂は

【輪廻】を通して

【目には目を、

歯には歯を】で

幸せな一生もあれば

不幸せな一生もある」

 

 

仏教で

この世に起きることには。

過去世で自分が積んだ

徳分(良いカルマ)は。

この世は魂の修業場なので、

どのような魂たちがある?。

この世で

何の悪行もぜずに

幸福な人は。

この地球の存在はどの様な

両面がある?。

それは何の場とさている?。

更に高い世界から降りた魂には

魂の修学の場なので

どの様になる?。

キリスト教やイスラム教では

=「輪廻転生」は

仏教には

=「輪廻転生」を説くが…。

宗教を信仰したからと言って・・・。

万物を創造した神の姿は

見えないとしても、

この世で起きる現象とは。

天国とは。

ex豊受姫のお代で、私の最初の師匠が

言っていました

=人の世の苦難はどんなに長くても

たかだか「50年程度」であり・・・。

日本の神社に鎮まる神霊

と言えども

避けられない事とは。

高い神霊だけに

送られる称号とは。

輪廻転生

あるからこそ

私達のは…

私が

説いているのは?。

 

 

 

 

仏教で

この世に起きることに

偶然性はなく、

 

全て必然性

と説くことの事例

と言えます。

 

全ての事柄に

【因】があるなのです。

 

 

 

 

ただ、

カルマとは

全てが悪い【業】ではなくて、

良い【業】もあり、

 

過去世で自分が積んだ

徳分(良いカルマ)は、

この世で

【幸福】と言う形で

返って来るのです。

 

どうしてあの人は幸せなのだろう?。

=>

過去世における【徳】

があったりするのです。

 

この世は魂の修業場なので、

地獄に落とされていた魂も、

天国から更なる上の天国を目指す魂も、

天国も地獄も定かにならないような魂も、

あるのです

=>

そうした魂に教えをする為に

お釈迦様とかイエスとか弘法大師の様な

高級霊たる存在の魂も降りて来る

なのです。

 

 

この世で

何の悪行もせずに

「幸福」な人は、

過去世の徳分

が出ている

 

 

 

この地球は

【魂の刑務所】

ともされますが、

【天人の苗床】

とも言われるように

両面があります。

 

それは

「魂の修学の場、更生(甦)」の場なので、

過去世に罪悪を犯して来た魂

悪からさらなる善を学ぶ為に来ている魂

など様々であり、

=>

一概論で語ることなどは出来ないのです。

 

 

更に、

魂の修学の場として

高い世界から降りた魂には

【試練・苦難】の波

が押し寄せて来ます。

 

 

この世の

試練とか苦難は

魂を磨かせる一環

でもあるからです。

 

特に神代と呼ばれた時代に

悪を積んだ神的な魂には、

恐ろしいほどの苦難が来ます。

=>

それに堪えることが

元の天人の世界に戻る道筋

でもあるからです。

 

 

 

 

キリスト教やイスラム教では

一部の霊能力がある宗教家以外は

「輪廻転生」などは言いません。

 

仏教には

「輪廻転生」の教えがあるとしても、

 

←→

某宗派は

仏教でありながら公然と

人は死ねば土に還るだけで

死後の世界(霊界)など無い

と公言しています。

 

そしてこの宗派の信徒は、

=

霊的なことを語る人達に対して

オカルトだと攻撃しています。

 

=>

キリスト教であれイスラム教であれ、

 

霊的な世界を語る司祭達は

何も見えない他の司祭達から

阻害されたり迫害の攻撃を受けるであり、

 

宗教を信仰したからと言って

「天国門」が開く

とはならないのです。

 

 

万物を創造した神の姿は

見えないとしても、

【正負の原則】たる

「目には目、歯には歯を」たる

【カルマ】がバランスを

取っているのです。

 

 

 

天国とは、

自分がこの世で

何を為したか

で行く階層が

決まる 

 

 

ex

私の最初の師匠は豊受姫のお代でしたが、

こんなことを私に言っていました。

人の世の苦難はどんなに長くても

たかだか「50年程度」であり、

 

その苦難を耐えて

神様(この世に出ている神霊達)

に成ったならば、

 

500年程度は神社の神様で居られる。

 

どちらが得かと言えば、

神社に祭られる神様と成った方が得だ

 

です。

 

=>

日本の仏教界においては、

日本の神社に鎮まる神霊

と言えども

【輪廻転生】は避けきれない

で、

永遠の仏陀ではなくて

高い神霊だけには【大菩薩】の称号を

贈って来たわけです。

 

 

 

神社で神様と呼ばれていても

「輪廻転生」からは

完全に逃げ切れてはいない

なのです。

 

が、

輪廻転生

あるからこそ、

私達の魂は

何万年何十万年と

在るのです。 

 

私が

説いているのは、

間もなく

【輪廻転生】

が終わる

なのです。

 

 

 

 

 

 

幸と不幸(4終)へ続く

 

 

 

 

 

「人の魂は【輪廻】を通して

【目には目を、歯には歯を】で

幸せな一生もあれば

不幸せな一生もある」 

神之公園さんブログ

「人に内在する良心神(神言会)」

2018.10.17より抜粋、加筆

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『人に内在する良心神』ブログ

定期的に更新されています

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ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

 

お仕事やボランティア活動、お疲れ様です。

体が辛い方、どうか少しでも、心は前向きに

日常生活をお過ごし下さい。

 

回線が繋がらない等があります。

ブログも不定期になってしまいますが、

また是非お立ち寄りください。

 

 

自分の魂を向上させるには、

【人に内在する良心神】は

仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌

の働きを示すこと

が非常に重要

・・・

「儒教」の【五常】

【仁・義・礼・智・信】

が含まれます。

・・・ 

良心なので、

当然に【仁・義・礼・智・信】を

持たないといけないのです。

・・・

そこに

滝沢馬琴「里見八犬伝」の中の

「忠・孝・悌」が入るのです。 

 

①仁は   

他の人を思いやること。

人は一人では生きられないのです。

 

②義は   

私欲にとらわれず、

損得では無く

人として為すべきことを為す

 

③礼は   

仁とか義を行動に移すこと。

礼を尽くす。

感謝して頭を下げられる。

 

④智は   

道理や知識を学び知ること。

この逆が

スピリチュアルで学ぼうとしない。

 

⑤信は   

真実を告げる。

約束を違えない。

信頼を得る者となる。

 

これらは

自分の中に「良心神」が発動

していないと、

なかなか為しえないのです。

それだけだと「五つの玉」なのです。

→ 

そこに滝沢馬琴「里見八犬伝」の中の

「忠・孝・悌」が入るのです。

 

⑥忠は    

主君

(真ん中の柱たる心=創造神、主柱神)

に誠を尽くす

 

⑦孝は

自分の親や先祖に孝行を尽くす。

延いては究極の先祖の唯一神に孝行。

 

⑧悌は    

兄弟の意味だけで無く、

目上の人や年長者の知恵や意見に従う。

 

→これで「八つ玉」です。

何故に五つの玉ではダメで

八つ玉なのかと言いますと、

そこに【八紘一宇】の思想が無いと

ダメなのです。

 

「八紘一宇」

=

元々は日本書紀にある言葉で、

【世界を一つの家にする】

という意味合いで、

=

天地を結ぶ8つの方位

とか玉の存在を意味するのです。

=

私はその

「八紘一宇」の屋根(八根)形は

】型と言っているのです 

  

『人に内在する良心神』ブログより

  

惟神霊幸倍坐世 かんながらたまちはえませ。

神は汝と共にあり。

 

 

「平成30年

北海道胆振東部地震」

災害緊急支援

=

ふるさと納税

北海道安平町、厚真町を

支援する事ができます。

・・・

返礼品をご希望されない寄付を

お申込みの場合、

お申し込み金額の全額が

同自治体に届けられます。

・・・

ご寄付後、

自治体から寄付金受領証明書が発行されます。

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