『自称「救世主」よりも、

大本教の

出口王仁三郎の様な

大予言者が待ち遠しい』⑵

 

 

霊に簡単に騙されるレベルとは。

騙されて気づかないこととは。

真実を見るには、

しておかなければならない事。

邪神達は真実を知られたくない

為に、どうなる?

邪神達に消された

お釈迦様の悟りとは。

り」の字から知る事。

世に出ている神々には

今はどの様な時節?

自称救世主が続出、

不思議ではない訳とは。

 

 

 

 

私は

【言霊】が何かを理解していない

霊感者レベルでは、

既存の霊に簡単に欺される

と言います。

 

どこそこの神社に参拝したら、

 

○○大神様が目の前に出て来られて、

 

言葉の教えに欺されるなよ

と学ぶことを禁じられて、

 

自分が

【真理の目覚めに

蓋をされている】

ことに気づかないわけです。

 

 

 

 

一度、

眼鏡蛇(コブラ)を

天に帰らせないと、

 

永遠に

曇りガラスの様な眼鏡で

隠された真実を

見誤るのです。

 

 

 

 

ヒンズー教の奥義書とされる

ヴェーダ典には、

 

【人の中に眠る

コブラ(眼鏡蛇)が

目覚めて走りのぼる時、

その人は真理に目覚める】

 

とありますが、

 

巳(蛇)を帰しておかないと、

真理には目覚めにくいのです。

 

真理の意味すら理解出来ない

のです。

 

 

私はその【巳(蛇)帰る】を体験したから、

 

お釈迦様の悟りの

「人に内在する良心神」の存在に

近づけたのです。

 

そうでなければ

眼鏡だけならばまだしも、

真理を隠す

シャッターの存在すら、

また閉じられている事実にも

気づくことがなかったのです。

 

 

 

 

自分の前に現れた霊が、

自分は○○の神

と名乗ったからと言って、

 

それは本物とは限らないのです。

 

低い霊感者レベルの人ならば簡単に欺されるのです。

 

邪神達は

真実を知られたくないから、

真理に近づくことを

非常に恐れます。嫌います。

 

為に、

真理に向かわない道

とその人を導こうとするのです。

 

なまじ霊が見える為に

道を間違えてしまうが起きてしまうのです。

 

 

 

 

お釈迦様は菩提樹の樹の元で、

【人には

良心と呼ばれる神が内在する】

と悟られたのですが、

それも見事に消されていました。

 

 

大本教から「みろく」神が出され、

 

「五六七」と世に出されたことによって、

 

【九つ花】の意味も解けたわけです。

 

そうでなければ、

 

何時までも

【九曜紋】にへばりついているところでした。

 

 

 

りとは、

を知る

 

 

 

大本教神諭が予告した

【九つ花】

の上から下から右から左から

番目の」に、

その口にの意味は

示されていたのです。

 

 

それだけのことを仕組めた神が、

 

○○神社の神と称して出て来る存在とは

 

月とスッポン以上の差があること

に気づけないでは、

 

神の世界の御用などにはとても使えないのです。

 

 

 

大本教神諭に

「世に出ている神々の

心の持ち方が悪かった」

とありますが、

 

モウ

世に出ている神々は、

あまり

天帝の仕組みの

妨害をせずに

首を洗って

待っておきなさい

の時節と言えます 。

 

 

ですから、

自分が救世主です

と名乗る方達が続出してきても、

 

別に

不思議でも何でもありません。

 

そうした時期なのです。

 

 

 

 

 大預言者⑶へ続く

 

 

 

 

『自称「救世主」よりも、

大本教の出口王仁三郎の様な

大予言者が待ち遠しい』

神之公園さんブログ

『人に内在する良心神』

2018.03.23より抜粋、加筆

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=499#trackback

 

『人に内在する良心神』ブログ

定期的に更新されています

リンクはこちら

http://kamikotokai-b.jugem.jp

 

 

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

 

お仕事やボランティア活動、お疲れ様です。

体が辛い方、どうか少しでも、心は前向きに

日常生活をお過ごし下さい。

 

自分の魂を向上させるには、

【人に内在する良心神】は

仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌

の働きを示すこと

が非常に重要

・・・

「儒教」の【五常】

【仁・義・礼・智・信】が含まれます。

・・・ 

良心なので、

当然に【仁・義・礼・智・信】を

持たないといけないのです。

・・・

そこに滝沢馬琴「里見八犬伝」の中の

「忠・孝・悌」が入るのです。 

 

①仁は   

他の人を思いやること。

人は一人では生きられないのです。

 

②義は   

私欲にとらわれず、

損得では無く

人として為すべきことを為す

 

③礼は   

仁とか義を行動に移すこと。

礼を尽くす。

感謝して頭を下げられる。

 

④智は   

道理や知識を学び知ること。

この逆が

スピリチュアルで学ぼうとしない。

 

⑤信は   

真実を告げる。

約束を違えない。

信頼を得る者となる。

 

これらは

自分の中に「良心神」が発動

していないと、

なかなか為しえないのです。

それだけだと「五つの玉」なのです。

→ 

そこに滝沢馬琴「里見八犬伝」の中の

「忠・孝・悌」が入るのです。

 

⑥忠は    

主君

(真ん中の柱たる心=創造神、主柱神)

に誠を尽くす

 

⑦孝

自分の親や先祖に孝行を尽くす。

延いては究極の先祖の唯一神に孝行。

 

⑧悌は    

兄弟の意味だけで無く、

目上の人や年長者の知恵や意見に従う。

 

→これで「八つ玉」です。

何故に五つの玉ではダメで

八つ玉なのかと言いますと、

そこに【八紘一宇】の思想が無いと

ダメなのです。

 

「八紘一宇」

=

元々は日本書紀にある言葉で、

【世界を一つの家にする】

という意味合いで、

=

天地を結ぶ8つの方位とか玉の存在

を意味するのです。

=

私はその

「八紘一宇」の屋根(八根)形

【米】型と言っているのです

 

『人に内在する良心神』ブログより

 

惟神霊幸倍坐世 かんながらたまちはえませ。

神は汝と共にあり。

例え天地は崩れようとも、

我れ創造神と共に行かん。