『自称「救世主」よりも、

大本教の

出口王仁三郎の様な

大予言者が待ち遠しい』⑴

 

 

自称救世主の背後の霊は

どうして大本教にこだわるのか。

霊が見えるの段階とは。

言葉の言とは。

空間に現れる

金色に輝く文字とは。

言葉とは。

音とは。

九つ花は

三千年もの月日をかけて 

何を仕組んできたか、

誠とは

 

 

 

 

最近、自称「救世主」と名乗る方がまたもや

増えて来ていると見られます。

 

そうした方達の中には

大本教神諭(正式には大本神諭)風に似せた

「神示」

などが出ています。

 

それらの神示をパラパラと読むと、

大本教神諭風には書かれてはいますが、

明らかに【似せ書】と断定が出来ます。

 

似せて書かれたものと

本物とでは、どこかが微妙に違うのです。

 

匂いが違うと言えるでしょう。

 

 

 

 

 

どうして、そうした方達の背後の霊は

大本教にこだわるのかと言いますと、

 

大本教の教えを知らずに

「神は語れない」分野

があるからです。

 

世界救世教の岡田茂吉開祖や

成長の家の谷口雅春開祖等は

出口王仁三郎聖師の弟子であり、

 

高橋信次師や五井昌久師等は

孫弟子ともなります。

 

日月神示の岡本天明氏も

大本教では

機関紙の編集長でした。

 

日本神霊学の父ともされる

浅野和三郎師も

大本教に居ましたし、

 

名だたる方達が

大本教霊学を学んだからです。

 

 

そうした関係もあったのか、

 

過去にも

大本神諭に似せた各種の神示

が出ていましたが、

 

読めばこれはおかしいぞ

と言うようなものばかりでした。

 

 

 

 

 

単に霊が見えるなどの段階は

低級霊界とのコンタクト

に過ぎません。

 

わらわは○○大神となるぞと出て来ても、

 

優秀な霊能者ならば

それらが

蛇霊とか狐霊とかを見破ってしまいます。

 

 

自称救世主と称する方達は、

そうした霊感者レベルの段階を越えておられるので、

 

自分はそうした霊感者レベルではない

という意思表示でもあろうかとは思います。

 

 

 

 

不思議なことですが、霊能者が書かれた著本を読むと、

 

時にはその本から香しい匂いが漂って来る本もあれば、

 

悪臭が漂っている様な本もあります。

 

本は「言葉で構成」されているのですが、

 

【言葉を文章に起こしても】

どこか著者の本質があるように、

 

神示も本物と似せ物では違いが感じられます。

 

匂いが違うと言うべきでしょうか。

 

 

 

 

言葉のとは

から出る

 

文章でも

その言葉を出している者の、

本心が現れて来るのです。

 

 

 

 

霊能力がある一部の方達は御存じだ

と思いますが、

空間に現れる文字が

金色の光に輝いているがあります。

 

霊文字ですが、

【言葉は光の文字】

としても現れるのです。

 

言葉を軽んじている

霊感者段階では

そうした物は

出て来ないのかも知れません。

 

 

 

 

 

言葉は

「光」そのもの

でもあるのです。

 

言葉も「音」なれば、

 

音は

【日(火)として立つ】

からです。

 

これが解ってないと

「闇」の意味も

解けないのです。

 

 

 

 

そうした似せ物であろう神示を出す神霊は、

 

大本教神諭が何を告げようとしていたのか、

その真意を測ることが出来なかった

 

と見受けられます。

 

 

大本教神諭は【九つ花】を予告したのですが、

 明治31年旧11月5日 記に

 

【九つ花は

誠から咲かせる花

であるから、

三千年の経綸を致した

 

誠の本であるから

誠の人の世話でないと、

このお世話は出来んぞよ】

 

とあります。

 

 

三千年もの月日をかけて、

日本語ですが

「言葉を仕組んで来た」なのです。

 

葉でっていると解ります。

 

ただ、

誰がそんなことをしたかです。

 

 

 

 

いくら自分が救世主ですと自称して、

 

【三六九神示】などと

大本神諭風に似せた神示を出したところで、

 

何一つ意味が解っていないなどがあります。

 

 

そんな自称救世主を

あの人は救世主ですと言っている自称霊能者も、

 

貴方が視る霊能力とは本物ですか

と聞きたいところです。

 

 

 

大預言者⑵へ続く

 

 

 

 

『自称「救世主」よりも、

大本教の出口王仁三郎の様な

大予言者が待ち遠しい』

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2018.03.23より抜粋、加筆

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日常生活をお過ごし下さい。

 

魂の汚れの掃除方法とは

(魂が磨かれるではなく

あくまで、穢れを取るだけです)

 

①鍛錬された言霊

魂の穢れを洗い流します

・・・

祓詞祝詞、天津祝詞、

『いろは祝詞』『ひふみ祝詞』

『アカサタナ』で続く祝詞

 

魂の禊の水行

・・・

第七チャクラ(白会)の目詰まり解消

魂の汚れを取る

ミカエル「巳(蛇)帰る」現象を起こす

・・・

月に三度くらい、夏に

昼間の暖かい日に

 

***

水行をすれば

魂の磨きが遅れていても

その分を取り返すことが

できるかもしれません***

 

 

魂の中心となる

真柱神(良心神)に巻きついて

それを飲み込もうとする存在

蛇霊の存在

 

最後の審判前のミカエルたる

「巳(蛇)帰る」現象が起きた

と推察されます

 

ミカエルたる「巳(蛇)帰る」現象

を起こす。

蛇霊が魂から離れます。

 

大天使「ミカエル』とは

大本教の出口王仁三郎聖師は

大天使「ミカエル」などは存在していない

と述べておられますが、

これは

「巳(蛇)帰る(ミカエル)」の言葉のこと

なのです。

ミカエルの意味は

聖書に記される

人類の原罪の蛇(巳)たる源を帰す

ことです。

「巳(蛇)帰る」でないと

「エデンの園」には戻れないのです。

 

神之公園さん「人に内在する良心神」ブログより

 

惟神霊幸倍坐世 かんながらたまちはえませ。

神は汝と共にあり。

例え天地は崩れようとも、

我れ創造神と共に行かん。