「稲荷を捨てて、

言霊(米教)の道へ」⑵

 

 

旧約聖書の神ではない声、

伏見稲荷山で修行中、

私を叱った事とは、その声とは。

肉体の腹からの声とは。

稲荷の神々の認識とは。

稲荷神界を離れてどこへ?

言霊師の師匠から

送りつけられたものとは。

霊界に関わる危険性とは。

稲荷の稲の教えと米の教えは

瓜二つ、違いとは。

普通の人として生きるとは。

神界に仕えるとは。

大本神諭、誠の者となるには。

聖書の言葉は神と共にあった、

の問題点とは。

言葉とは。

旧約聖書の神

私はこの世の幕を引くとは。

嬉し嬉しの永遠の世とは

どこで展開されるのか。

永遠に

嬉し嬉しの世に行けるならば

この世とは。

 

 

ところがある日、

伏見稲荷山で修行中の

私の体内から私に臨んだ霊声は、

【何時まで稲荷神に

欺され続けていたならば

気が済むのだ!。

この大馬鹿者が】

と私を叱って来たのです。

 

それは私が子供の頃に聞いていた

旧約聖書の神と名乗る声とは

別のものでした。

 

 

 

それは外部からの霊声ではなく、

私の肉体の腹(高天原)からの声でした。

 

それは私に憑依している霊からではないのです。

 

人の腹は【高天原】に通じているからです。

 

人の肉体の頭上から出る霊子(たまのこ)線

よりも、

腹の臍から出る霊子線の方がより重要なのです。

 

で、私は

稲荷神界の神々ですら

「欺しの世界」の神

と認識して、

 

私は稲荷神界を離れて

【言霊の世界】にと

転じたのです。

 

と言っても、

霊能者は掃いて捨てるほど居ても

言霊とは何かを知る言霊師と称する方は

日本でも若干名です。

 

そんな数少ない言霊師を師匠に持てたのは、

全て神の計らいだったとは言えます。

 

が、

その言霊師の師匠から

【死神】を送りつけられて、

その後その後遺症で長く苦しみました。

 

霊能者は

全て正神界に所属ではありません。

 

今の霊界は

力が強い者が支配するで、

正神も邪神も存在します。

 

霊界に関わるには、

時には自分の命をもっていかれる

危険性すらあるのです。

 

 

 

稲荷の稲の教えと

【米】の教えは

「瓜二つ」

でも米の仕組とは、

言葉を創りし

神の存在を告げる。

 

 

豊受姫の御代をしていたその師匠でも、

 

私に

【出来ることならば、

神の御代などしたくはなかった。

 

神に仕えて先生、先生と言われるよりも、

普通の人として普通に生きたかった】。

 

それが本当の声だと言えます。

 

普通の人として生きれることは、

それはとても幸せなことなのです。

 

神の世界に仕えるのは

自分が選ばれた者ではありません。

 

どれだけ【貧乏くじ】を引いても

耐えられるかです。

 

そこを錯覚して、

自分は偉い者だから選ばれた者

と思うと間違えるのです。

 

 

 

それは私が子供の頃、

旧約聖書の神と名乗る霊声から、

あることを告げられたからです。

 

【神の世界に仕えることは、

とても辛い作業である。

 

特にそなたは

他の者よりも辛い道を歩くことになる】。

 

泣いて泣いて涙も涸れ果てたなのです。

 

しかも、

いくら気の毒な人を見ても自分に力がない為に

助けてあげることも出来ないのです。

 

言葉を創りし神は

私に力を授けて力で押す

のではなくて、

 

私が解読した

【言葉の仕組】を見て、

そこに創造神の存在を認識して、

 

自らが

その創造神の下僕となる人

でなければ、

 

大本教神諭が説いた

【誠】の者

とはなり得ないのです

 

 

 

その【言霊】の世界

に入って、

私の神観は

百八十度も変わった

と言えます

 

私がそこで見たのは

聖書の

【言葉は

神と共にあった】

なのです

 

ただ聖書では、

言葉

としたことにより

【言霊】

の意味が解らない

なのです

 

 

 

私はそれを知った時、

あまりのことに苦慮しました。

 

神とは

神社や仏閣に鎮まっている

と思っている人からすれば、

 

言葉は神なりき

を知るのは

お釈迦様の「悟り」以上に

難しいからなのです。

 

 

 

私は子供の頃、

旧約聖書の神

と名乗る霊声から

【私は

この世の幕を引く】

と告げられました。

 

だが、それは単に

【人類の滅亡】

を意味した物

ではなくて、

 

次に

【嬉し嬉しの

永遠の世が訪れる】

為の

「今の世の幕引き」

であるとも

教えられました。

 

 

 

ただ、

その嬉し嬉しの永遠の世とは、

 

この地球上で

展開されるのではなくて、

 

聖書の

ヨハネの黙示録に記載される

【今の天地は滅びて、

私は新しい天地を見た】の方です。

 

だが、

それはあまりにも途方も無いことであり、

 

既存の神霊や天使と称する霊達が

語れるようなものでもありません。

 

 

 

永遠に

嬉し嬉しの世に

行けるならば

 

何故に魂の修行場の

この世に

縛られる必要が

あるのか?

 

 

 

Xデーその11⑶へ続く。

 

 

『Xデー 最後の審判

・世の大立替・天の岩戸開けは

本当にあるのか? その11』

「第××項 稲荷を捨てて、

言霊(米教)の道へ」

神之公園さんブログ

『人に内在する良心神』

2017.09.19より抜粋、加筆

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『人に内在する良心神』ブログ

定期的に更新されています

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ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

 

お仕事やボランティア活動、お疲れ様です。

体が辛い方、どうか少しでも、心は前向きに

日常生活をお過ごし下さい。

 

魂を磨く方法は?

(魂の汚れの掃除方法とは別になります。)

 

他の人を助ける愛の奉仕

米教では他を救いて世根(米)となれ

 

生かされていることに感謝する

人は他の存在によって生かされているからです

自分1人の力では何もできない

 

③信仰によって浄めて貰うがあります

神の祭壇に牛と羊の血の捧げ

 (我と牛と羊で犠牲の文字になります

 神一筋の少途川の道と言い

本当の神の御国に行きます

 現世利益信仰で神を信じるのではなく

神を敬い信じて

犠牲的精神の発露が魂を浄化させる)

 

1番いけない行為は

我さえ好ければそれで好い

自分本位の行動なのです 

魂を汚しに汚してしまうのです

貴方一人で何ができるのでしょうか?

 

惟神霊幸倍坐世 かんながらたまちはえませ。

神は汝と共にあり。

例え天地は崩れようとも、

我れ創造神と共に行かん。