Xデー その4

「誰が【米一字】で

【魂】の存在証明論を

仕組んだのか?」⑵

 

 

最後の審判、大立替では人は…。

現在の仏教で消されたお釈迦様の悟りとは。

弥勒菩薩とは。

豊受姫が言われた天帝の【詔】とは。

米一字の教えとは。

創造神と私達が

直接繋がっている部分とは。

自己の魂に内在する核(天帝の直霊)の心の働きとは。

私が神とするのは。

 

 

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大本教から

【艮(ウシトラ)金神・国常立尊】

が世に出された時、

【節分の炒り豆にも花が咲く】

と歌われました。

 

これが私達に初めて「う」で

【魂】の存在を

具体的に知らしめるものでした。

 

 

 

人は死んでは花実が咲かぬ

と言いますが

世の大立替は

【死んで花実を咲かせる】

のです

 

​そこに、

節分の炒り豆にも花が咲くとなります

 

 

 

 

 

何度も示しましたが、

【魂】とは

節分の炒り豆の

【鬼】であって

大本教の出口喜三郎聖師に神が

三郎」ではなくて三郎」と名乗れ

と命じられても、

 

はあんまりじゃ」王仁三郎】

されたのですが、

節分の炒り豆で追われている【

でなければ、言葉の仕組上、

私達の魂の中に

【天帝の分魂たる直霊 

(人に内在する良心神)】

があるは解らないのです。

 

 

私は魂の中に

【心棒】の存在を見ましたが、

そんなことを今日まで

誰も語っていないので、

その【棒】が何なのか

を知るまでに

かなりの時間が掛かりました。

 

まさに【心棒】だったのです。

 

何故に棒の字は

=木に「奉る」なのか

と首を捻っていたのです。

 

 

大本教から【ス】の神論が出されましたが、

誰も何故に【ス】の神論が出たのか?。

 

その意味すら考えずに

理解出来ていなかったと言えます。

 

それは世に出ている神々も

「国常立尊」の言葉の仕組に

誑かされたなのです。

 

 

 

 

お釈迦様は

菩提樹の下の悟りで、

人には良心と呼ばれる神が

内在している

と悟られましたが、

 

現在の仏教では

それが

ほぼ消されています。

 

それは

日本語の言葉の仕組みで

大本教神諭予告【九つ花】

を紐解かないと、

 

それが

「みろく(369)」を示し、

 

五十六億七千万年の数字の意味

解らないようになっていました。

 

 

 

 

弥勒菩薩とは、

この世の終末に現れて

人類を未来の世に渡す

未来仏

とされたが、

みろくが表に出なければ、

誰もお釈迦様の悟りが

何であったのか

も解らないでいた。

 

 

 

 

そうした言葉の仕組を見ずに、

ただ自分の前に神霊が現れたで、

そんな霊の存在に囚われていると

本質を見失ってしまいます。

 

何故ならば、

そうした霊は言葉が仕組まれていたこと

すら解っていない段階の存在だからです。

 

 

霊が見える。

それは普段の時であれば

それなりの意味もあるでしょう。

 

また、そうした霊によって

自分が助けられた。

他人も助けることが出来た。

 

しかし、

【最後の審判】

と呼ばれる事態が起きた時には、

そんな霊が見える程度の霊力など

何の役にも立たない

かも知れないのです。

 

それは豊受姫の神が、

【貴方の言葉の教えに従えない神は、

如何なる神とて

天帝に対する反逆罪で裁かれる

と告げられたからです。

 

私も豊受姫が言われた

天帝の【詔】とは、

大本教神諭予告

【九つ花に咲く

一輪の言霊の秘密(火水)】

だとは、

【九つ花】を解読するまで

気づきませんでした。

 

 

 

 

朝鮮半島に

残されていた預言、

最後の審判前に

【米一字】の教えが起きる。

 

その教えに従った者達の上には

=天罰は降りないが、

そうでなかった者達の上には

=天罰が降りるがありました。

 

未だ、そうした天罰は降りてはいませんが、

誰が考えても【米一字】で教えは説けません。

 

だが、

その米一字は

=大本教神諭予告【九つ花】

を持って来ると

説けるようになっていたのです。

 

それは

いくら伊勢神宮に

天照皇大御神と呼ばれる御神霊が

鎮座され、

 

出雲大社に

大国主命と呼ばれる御神霊が

鎮座されていようとも、

 

【米一字】の仕組みをされたのは

それらの御神霊ではないのです。

 

だから、

世に出ておられる神々にも

紐解けなかった。

 

それらの神々よりも

遙かに次元の高い

神の存在が在る

としか言えないのです。

 

 

 

 

ある方から

伊勢神宮の天照皇大御神から

私に伝言

とのメールが来ました。

 

私自身は

伊勢神宮からの霊的な大神霊行列とか、

【鶴と亀の紋様が入った着物】

を着用された高貴な方と

霊的には出会って来ました。

 

その私に伝言と言われた方が

どこまで本当に御神霊が見えているのか

は解りませんが、

その方が伊勢神宮に参拝されたところ、

伊勢神宮の天照皇大御神から

「神野公園」さんに伝言として、

「自分が三千年間に渡って

この日本の総氏神を勤めた功績は

忘れないで欲しい」

と伝言を託された

とのメールが来ました。

 

確かに、

伊勢神宮に鎮座されている

御神霊には

日本の総氏神としての役割は

あるでしょうが、

 

創造神ではないので

そこまでの段階なのです。

 

伊勢神宮に行って喜んでいる

霊的段階では、

創造神とされる神の存在まで

とても目が行きません。

 

 

 

 

私に子供の頃に臨んだ

旧約聖書の神と名乗る声は、

そなたの背後にこの私が在ることが

解らぬ神では

使い物にはならぬ神

と告げられましたが

 

伊勢外宮の豊受姫の神は

=私が何者かをほぼご存知だったので、

 

本当の伊勢内宮の天照皇大御神ならば、

私のことはご存知なのかも知れません

 

 

 

 

 

私達が

創造神と直接に繋がるのは、

【自己の魂に内在する核

(日本神道で天帝の直霊)】

であり、

 

その働きは

お釈迦様の悟りである

【人に内在する良心神】

の「良心」

として働いて来ます。

 

 

それは大本教神諭予告の

【この世の閻魔大王として

現れる】の働き

以外のなにものでもないのです。

 

 

一部のスピリチュアルの人達は、

【良心】など重いだけだから捨てましょう

と説いておられます。

 

確かに、良心の【呵責】は重たいのです

それは【この世の閻魔大王】だからです。

 

【節分の炒り豆で追われている】のは

閻魔大王の麾下の番卒である鬼達のこと

なのですが、

 

その鬼は

=現代の悪を取り締まる【警察】です。

 

警察とは

=「言葉を敬い宇宙を祭る」です。

 

 

 

 

それは

自己が犯した罪を認めず、

その罪の償いから逃げる者達

に対しての

「鬼が云う魂」の意味であり、

 

その結果として

自分の魂の姿が霊界で

蛇霊化、狐霊化、

狸霊化、猫霊化

起こさせているのです。

 

 

 

 

私がとするのは

万物の【創造神】だけであり、

聖書で言う【唯一】の神だけを

としているのです。

 

それ以外の御神霊に対して

と言う言葉を使っても、

それは便宜上にしか過ぎません。

 

 

最後の審判

と呼ばれる事態が

起きないのであれば、

別に

蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊を

神様神様と拝んでいても

大きな支障はありません。

 

しかし、

この世の終わりには

そうした段階の霊では

対処が出来ないのです。

 

 

示申(神)とは、

言葉で示し申すの【神】のみ 

 

 

 

『最後の審判・世の大立替

・天の岩戸開けは本当にあるのか?その4』

「誰が【米一字】で

【魂】の存在証明論を仕組んだのか?」

神之公園さんブログ『人に内在する良心神』

2017.08.14より抜粋、加筆

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『人に内在する良心神』ブログが

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惟神霊幸倍坐世 かんながらたまちはえませ。

神は汝と共にあり。

例え天地は崩れようとも、

我れ創造神と共に行かん。