『祓いの犬に隠された靴は、
弥勒の「勒」の改革の力か?
戦いの迫りの靴音か?。』⑴
弥勒の「勒」の意味とは、
世界の人類が宗教戦争などの
戦いの無い平和の世界に住むには、
唯一神が告げる【革新】とは、
靴の「革」の意味とは、
靴の「化」の意味とは、
「靴」の意味とは。
ex
子犬の行動を見ていますと、
脱いでおいた履き物を咥えて
どこかに持って行くがあります。
・・・
愛犬の【靴泥棒】と呼ばれる行為です。
子犬にとっては
それは一種の遊びと言えます。
私はここ一~二年間ほどの間に、
実に奇妙な夢を七~八度見ていました。
・・・
それは夢の中で
私が世の立替の講演をしている会場で、
講演を終えて会場から帰ろうとすると
→
私の「靴」だけが
何故か無くなっている夢です。
会場の他の人にはそうした被害が起きておらず、
私一人だけが被害者なのです。
どこを探しても私の靴が見つからないのです。
時には裸足で靴屋に駆け込んでも、
何故か私が履くサイズの靴だけは無く、
大弱りしている夢もありました。
→
そんな夢が七~八度も出て来ますと、
さすがに
【靴】の言葉の意味
が気になります。
だが、意味がまったく解らないのです。
そして、犬の年を迎える昨年の師走に、
またもや靴が消えている夢です。
だが、今度は会場の靴箱を探したところ、
これまで消えて行った
過去の全ての「靴」が
並んでいたのです。
これまで失せた靴が全て戻って来ている?
です。
いったい誰が私の靴を
これまで隠して来たのだ!。
その時、
これまで私の「靴」を隠したのは
「犬」の所行だと出たのです。
犬?。
犬が私の靴を隠していた?。
酉年の師走の後に来るのは「犬」の年です。
犬に=祓いの意味があるのは分かります、
その「祓い」が
どうして【靴】とつながるのか
の意味が解らないなのです。
だが、靴が戻って来た夢は、
【靴】が揃う仕組み
と考えられるわけです。
弥勒の「勒」
=を分解すれば
改革の【革の力】で
弥勒とは
=
「いよいよ始まる
改革の力」と読めます
私は【弥勒世】の到来を告げる
宣伝マンをして来ました。
←→
だが、それは何時かとなった時、
言葉だけでは読み切れません。
革の字は
=毛物の毛を治去して、
これを【革変】するなりで
【革命】をも意味します。
ex
政治の世界では保守の旧を改めるのが
革新とします。
しかし、
政治の世界の多くが唯物主義者の集まりで、
政治の世界の革新は
唯心主義者とは一線を画します。
ex
明治維新は間違いなく
【改革】でしたが、
日本の民主党の革新政権は、
実務が解らないお粗末な政権でした。
…
危機管理が出来ない革新政権ならば
必要は無いとなります。
ex
今年の年明けに中国の軍艦が
尖閣列島の接続水域に入り、
何時、中国が
尖閣列島に上陸作戦を敢行しても
不思議ではなくなって来ています。
・・・
中国の習主席は新年の軍事パレードで、
軍に【戦争準備】を訓示しました。
どの国に対しての訓示かは解りませんが、
国家の指導者であれば、
あらゆる不足の事態に備えるのは
当たり前のことであり、
日本の様な平和ボケでは国は守れないのです。
無論、戦争は厭だから
その時は
日本は中国の属国に成る。
そうしたことを平気で言う人達は
必ず出て来ます。
→
そんな日本人が
増えれば増えるほど、
この日本は天から見放される
でしょう。
世界の人類が 戦いの無い
平和の世界に住むには、
日本の戦国時代の世を
織田信長が
天下統一に導いたように、
→
一つの神による
神界統一が必要です。
唯一の神だけを神と崇めるです。
今の神霊世界を見るならば、
まるで群雄割拠の戦国時代のようなもの
なのです。
為に、宗教が戦争を起こす元凶
となっていると言っても
過言ではありません。
同じ旧約聖書を聖典
ともしながら争っている
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教
を見れば解るように、
未だ本当の創造神は出ていない
とも言えるのです。
もしも
そうした創造神が
世の表に出ていれば、
宗教間での戦争は起きないから
です。
唯一神が告げる
【革新】は、
=
毛物(獣)の魂からの
脱却です
今の世は、
=
人の顔をしていても
その魂は
【毛物(獣)】なりの状況で、
→
新しき永遠の世に入る為には、
魂の毛物の除去
がなされなければなりません。
だからこそ、【弥勒】の世は
黙っていても来るのではなくて、
大規模な【変革】を伴うなのです。
そうしたことから、
世の立替は
一種の神界革命
(クーデタ)
とも説かれるのです。
だが、ここまで私の夢に
「靴」が出て来るとは
別の意義があるかと、
再度調べましたところ
革は
=獣の皮ですが、
改に通じて「あらたまる(新たまる)」です。
ですから【改革】でよかったのです。
=
さらに、さし迫るとか病気が重くなる。
危篤になるなどの意味もあるのです。
→
そこに、
改革がさし迫って来た
と読めます。
そして「靴」の「化」は、
=【人が死す】形なのです。
単に化けるではなくて、
複数形の人達が死ぬ形です。
化けるの意味合いは、
=
人の肉体は死ねば消えても骨は残る。
その骨と化した意味が「化け」るだったのです。
違う形になることです。
【化け】とは
=人は死しても
【魂】は残る。
靴は、
=改革で
人は死しても
「魂」は残る
そうしたことから、
私達はこの世を去っても
この世に残っている霊を
【お化け】と言います。
霊がいろんな姿(神霊をも装う)
に化けるのもその意味合いです。
『『祓いの犬に隠された靴は、
弥勒の「勒」の改革の力か?。
戦いの迫りの靴音か?。』』
神之公園さんブログ『人に内在する良心神』
2018.01.19 より抜粋、加筆
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惟神霊幸倍坐世 かんながらたまちはえませ。
神は汝と共にあり。
例え天地は崩れようとも、
我れ創造神と共に行かん。