『魂を磨く⑫

正神界も邪神界も

共通して説けることは

「感謝心」を持て』⑸

 

 

日月神示など

どの神でも「九十九」までは行ける

で足りないのは

感謝の謝の寸が持つ意味とは、

感謝心とは何に対しての感謝心?。

 

 

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日月神示などでも、

どの神でも「九十九」までは行ける

とあります。

 

仮にその神が「九十九」の段階まで行けていたとして、

足りないのは何かとなりますと

【良心神】となります。

 

悔い改めるとは、

心の棒(杭)を改めればいいわけです。

それで【良心神】は得られます。

 

それにはどうすればいいのかとなります。

だとすれば、

目指すのはまず

「九十九」の段階まで行くこと

です。

 

 

 

それには正神であろうと

邪神であろうと共通して説く

【感謝心】があります。

 

ex

良寛和尚のように

・・・

泥棒に身ぐるみ剥がれても

感謝心を持てとは言えませんが、

何事にも感謝、感謝で進むであれば、

人は劇的に変わることが出来るのです。

 

 

この社会に不満を持って、

愚痴ばかり述べるのではなくて、

 

自分の命を生かしてくれる為に

食の犠牲になってくれている

動物達の命や、

私達の心を慰めてくれている

自然や花や

そして何も語らないが

空気や水

 

そうした万物

に対しての感謝心

があれば、

貴方の愚痴は贅沢だとなります。

 

 

自分が

他の犠牲によって

生かされている

を学ぶ

 

そこに

【感謝心】

がなければならないのです

 

感謝とは、

言葉が身を助ける。

 

 

一般的には感謝

「謝」は、

【人のあやまちを許すこと。

自分の犯した間違いをわびること。

謝罪する】ことですが、

 

感謝

【ありがたく感じて

謝意を表すことです】。

 

意味が違っていることが解ります。

 

=「言葉と射」に分解されますが

 

射を

「弓で矢を放つ」と捉えてしまいます

と意味が解らなくなります。

 

射は【寸】が持つ意味なのです。

私達は感謝のお礼として、

僅かですがと【寸志】を出します。

この寸【守】の字にも使われています。

 

そして、

大本教が出した【す】神の

「す」は、

漢字の【寸】の草書体からです。

我れよしではなくて、

何事にも

感謝の「寸志」を持つこと

なのです。

 

またこの「寸」

【寿】ともなります。

 

 

大本教が出した

【す】の神には

【寸】の漢字に意味がある

 

 

感謝心を持つことは、

言葉で感謝の意を

他の人に表し

あなたの身を守る

(助ける)なのです

 

 

何事にも

感謝の心の無い人は、

天国界は難しい

 

 

 

 

『魂を磨く⑫

正神界も邪神界も

共通して説けることは

「感謝心」を持て』

神之公園さんブログ

『人に内在する良心神』

2017.12.04より抜粋、加筆

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例え天地は崩れようとも、

我れ創造神と共に行かん。

惟神霊幸倍坐世 かんながらたまちはえませ。

神は汝と共にあり。