『魂を磨く⑮/

人は

【霊(ヒ)止(ト)】

故に、誰しも

霊の憑依を受ける』⑵

 

 

「サニワ(審神)」者とは

「サニワ(審神)」者の質問 とは

ヨハネ黙示録

・言葉が剣になるとは

宇宙からのメッセージや

宇宙語で証明される事

霊止(ひと)はこの世を去れば

 

 

 

 

古来より、

健全な心に正しき神が宿る

と言われて来ました。 

 

人を罵ったり

悪口を言っているでは、

その人には健全な神など

宿ってはいないのです。

 

 

人は

「霊止(ひと)」である為に、

常に霊の【憑依】を受けます。

それらの憑依は

その人の【表意】として

表に出て来ます。

 

 

 

 

スピリチュアルの世界

まったくなされていないものの一つとして、

【サニワ(審神)】があります。

霊学の分野では「サニワ」

「審神とか審神者」の漢字を当てていますが、

辞書でサニワを調べたら、

この「審神とか審神者」の漢字は

出て来ません。

これは明治以降の新宗教からとされています。

 

元は神霊を霊媒者に降ろして神託を聞く

清められた庭の【清庭(さやにわ)】の意味

なのですが、

 

実際に霊降ろしをすれば、

霊媒者に降りて来る霊は

必ずしも本来の神霊ではなくて、

俗に言われる

蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊

と言われるような神霊とか、

本来の霊界に渡ってない

不浄仏霊とか

霊界にウロウロしている

愉快犯霊等で

それらが出す言葉に

惑わされてしまうことから、

それを吟味する

「審判をする人」から

審神とか審神者の漢字が

当てられて来たようです。

 

ex

自分には霊が見えるで、

神社などに参拝して

出て来た霊が名乗る神名に

疑いを持つ霊感者は

まずないでしょう。

で、その神霊が言う言葉を

真に受けてしまいます。

 

←→

それに対して「サニワ(審神)」者は、

見える霊の姿形からではなく、

その神霊が告げて来る

言葉の内容

何かおかしいところがないか?。

と聞いていて、

 

ここは何かおかしいと思うと

その神霊に質問をして行きます。

 

その質問で

高い神名を名乗る霊を

追い込むので、

かなりの博学が要求されます。

 

 

「サニワ(審神)」者の質問 

聖書に、

「龍神とは=霊界で年老いた蛇霊」

とあるように、

相手は霊界において長い時間をいますので、

歴史的なことを聞くことは

あまり意味がありません

それよりも、

その高い神名を名乗る霊の

【心の持ち方】に関して、

詰問を加えるなのです。

それは大本教神諭に、

【世に出ておられた神々の

心の持ち方が悪かった】

とあるように、

その神霊が

如何なる【心の持ち方】

をしているかです。

心の持ち方が悪かったら、

〇〇大神と名乗ろうと

臆すること無く突っ込むのです。

 

 

また、「サニワ(審神)」者

対峙している霊の力が強いと、

その霊の攻撃を

受けてしまいますので、

自分に霊的防御能力が無いと、

その霊に殺される場合

もありますので、

誰でも彼でも

サニワ(審神)が出来る

ではないのです。

命がけとなります。

 

 

「サニワ(審神)」者

相手がいくら高級神霊と名乗っていても、

サニワ(審神)の権限として

質問することが許されるのです。

その時、相手が

高級な神霊の名を語る霊であつても

サニワ(審神)者として

言葉を出すと、

そのサニワ(審神)者のきつい言葉は

【神の剣】ともなって行くのです。

 

 

私達が出す言葉が

【神の剣】とも成るは、

ヨハネ黙示録には

言葉が剣になる

と書かれていますが、

 

ほとんどの霊感者レベルでは

その実態は知られていないのです。

 

 

このサニワ(審神)者のことが

あまり世に知られていないのは、

サニワ(審神)には

非常に優秀な【霊媒者】を

必要とするからです。

世に霊が見えると言う方は

かなりあるでしょうが、

優秀な「霊媒」が出来る方は

非常に数が少ないからです。

まして神霊降ろしともなれば

その霊媒者の魂の格が

高くないと勤まりません。

霊能者の間では

優秀な霊媒者は

取り合いになるぐらいなのです。

 

 

サニワ(審神)において、

ex

スピリチュアルで盛んに言われる

宇宙からのメッセージも、

=

本物は一つも無いともされます。

 

ex

スピリチュアルの宇宙語

とされる言葉にしても、

言語学者を動員したところ、

今は使われていない古代の異国の言葉

蛇霊の仕業とサニワされた事例も

存在しています。

今の人類の姿をしていない

太古の霊も存在するのです。

ただ、それらは

人には遙かなる古代からの霊が

憑依して来ているなのです。

聖書における人類の祖とされる

アダムとイヴを唆した

蛇霊の教えにも

意味があるのです。

肉体は滅びても、

霊魂は生きている証明論

にはなるわけです。 

 

 

 

今の世に住む私達

にしても、

その本質は

【霊魂】を持った者

であり、

この世を去れば

霊世界に戻る

なのです。

 

すなわち、

私達は【霊止(ひと)】

なのです 

 

 

『魂を磨く⑮/

 人は【霊(ヒ)止(ト)】故に、

 誰しも霊の憑依を受ける』

神之公園さんブログ『人に内在する良心神』

2017.12.22 より抜粋、加筆

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ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

 

良い大晦日をお過ごしください。

 

惟神霊幸倍坐世 かんながらたまちはえませ。