『何故に神々は

蛇や狐や狸霊や猫霊の姿に

【ミカエル(身変える)】のか?

神々は蛇や狐

大本教とは立替予告

国常立尊のお姿は…

神名とは

霊の欺し』

 

 

 

「神々は蛇や狐」(加筆部分)

 

私の最初の師匠

御祭神の豊受姫から書け

と命令されて書いた著書に、

【自分は神様とは

蛇や狐だと思っています】

と記したように、

 

私自身が

神霊世界を歩んで見たものは、

蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊等

と言われている神霊だらけであって、

 

此所は

天之御中主様国常立尊様

祭ってありますと言われても、

どこにも【創造神】と呼ばれる様な

存在の神の影も形も

見当たらないなのです。

豊受姫がその師匠に

神々は「蛇や狐」です

と書かせた意味が

解らぬようでは

どうにもならぬ者

となります。

 

 

 

「大本教は立替予告の為の教団」(加筆部分)

 

大本教と呼ばれる宗教から

【艮(ウシトラ)金神・国常立尊】

と称する神霊が出られましたが、

それだけではとても

【創造神】とは言い切れません。

 

大本教出口王仁三郎聖師

傑出した【大予言者】であることは

間違いないのですが、

それでも

世を立替るほどの神力が

当時の大本教から出ていない

からです。

 

大本教

【立替予告の為】の教団だった

と言われていますが、

まさに立替予告の為の教団だった

とは言えます。

 

金井南龍と呼ばれる行者の世界では

有名な方は、

大本教

【神様革命】神界クーデタであった。

だが、

神界クーデタは失敗した

と述べておられます。

 

出口王仁三郎聖師という

傑出した存在をもってしても

失敗したです。

伊勢神宮という

天皇を現神(あらひとがみ)とする

国家神道に破れたわけです。

 

だが、

それは予告の為であって

本番ではないなのです。

 

 

「国常立尊のお姿が見えない」(加筆部分)

 

大本教に

【国常立尊】が鎮座されているかと、

幾多の霊能者大本教を訪れても、

どこにも

【国常立尊】のお姿も影も無い

と言われます。

 

それらは霊能者だけでなく、

幾多の霊達大本教に行っても

どこにも

【国常立尊】のお姿が見えない

言います。

 

本当に綾部大本教

【創造神】と呼ばれる様な

神霊が鎮座されているならば、

霊能者達や霊から

どこにもその姿が無いと言う言葉

聞こて来ないでしょう。

 

 

 

真の神

人に懸かり、

その肉体人

使って活動する

(その人のみたま相応する)

 

 

 

 

「神名とは」(加筆部分)

 

神界と呼ばれている世界において、

そこに出て来る霊の

○○大神等の名乗りは、

単にその霊がそう名乗っているだけ

であって、

全てが本物とは限りません。

 

また、神名とは

その名前を名乗ることが出来る

であって、

そこにはその神名を名乗る霊の

【序列】が存在しています。

そうしたことは一部の行者の間では

【神の高山(神界ビラミッド)

【天使の階級(天使には階級が在り、

その名乗りに欺されてはいけない。

その階級を確かめる)

で語られていますが、

 

スピリチュアルの世界に

うかつに入ってしまいますと

そうしたことを知らずに、

俗に言う動物霊や眷属達

自称する神名を恭しく拝している

であって、

自分自身が低級霊の容器

と化してしまいます。

 

 

 

「霊の欺し」(加筆部分)

 

霊能者と呼ばれる方達の中には

奇跡力や霊力凄くても、

実に【卑しい人品】の方達

少なからず居られます

霊力があるから【正神】ではなく、

邪神に魅入られてしまう

なのです。

こうした霊能者は、

【金、金、金】式になります。

 

私の最初の師匠

豊受姫の御代で、

豊受姫の御代としては

№1とも言われていましたが、

自分のところに

霊感がある人が相談に来ると、

その霊が見える能力していました。

消しても消しても霊が見える人だけを

選んで修行させるでした。

なまじ霊が見えると、

その霊に本人が欺されてしまう

からです。

 

 

 

霊の欺し

一体の霊がするのではなくて、

時には何十体もの霊

役割を決めて、

集団で欺して来ます

・・・

劇場型俺々詐欺みたいな

役割分担で来ますので、

まさか集団で欺されるとは

思わないのです。

・・・

ですから、

霊が見えるのは好ましくないのです。

・・・

また、神社の前であろうとも

神社から出て来ますので、

自分が欺されていることが

解らなくなるのです。

 

私の最初の師匠の元

現在不動明王の御代をされてる方いますが、

豊川稲荷を勧請して祀られた講員さん

がありました。

そこに多くの不動尊行者が来て

祭壇を拝んだのですが、

一人として

その豊川神が眷属である

と見破れた不動尊行者

いませんでした。

本体神と眷属の違いすら

解っていないのです。

 

『Xデー 

最後の審判・世の大立替・天の岩戸開け その2

第××項 何故に神々は

蛇や狐や狸霊や猫霊の姿に

【ミカエル(身変える)】のか?』

神之公園さんブログ『人に内在する良心神』

 2017.08.04より抜粋、加筆

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ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

 

朝晩は寒くなってきました、

長袖、ひざ掛け、毛布等、体温調節を細やかにして下さい、

良い休日をお過ごしくださいね。

 

投稿したのに反映されず記事も消えてしまい、お時間いただきました。

立ち寄ってくださった方、本当にありがとうございます。

 

惟神霊幸倍坐世 かんながらたまちはえませ。

 

 

仏教に【四諦(したい)】という教え

苦諦(くたい)は

=「一切が苦」を悟ることです。

集諦(じったい)は

=苦には原因があると悟ることです。

滅諦(めったい)は

=苦は滅することが出来ると悟ることです。

道諦(どうたい)は

=苦を滅する道があると悟ることです。

 

ほとんどの方は

=「一切が苦(苦諦)」と言われても、

何を寝ぼけたことを言っているのだ

と言われるでしょう。

 

この「一切が苦」を理解するには、

この世をよく見つめる能力が無ければ難しいのです。

瞑想で「一切が苦」を悟ることは出来ないでしょう。

 

お釈迦様はこれらを説かれたのは

【悪魔は実態を持たない表れで有り、

人には良心と呼ばれる神が内在する】

(HP最初の方で書いてあります)。

それがあって理解も悟ることも出来るのです。

 

大本教神諭が予告した「九つ花」とは

【苦の花】であり、

頭の知識だけではとうてい理解出来るものではありません。

この「四諦」を理解出来るかにもあるのです。

良心神によって、

この世は「苦界」と知り、

苦に原因(カルマ)があると知り、

苦を滅することが出来、

苦を滅するには

「他を助ける世根」の道がある

と解るのです。

 

2015.4.12「人に内在する良心神」ブログより