『ことの起こり

自己の魂を磨くとは、言葉の仕組みとは、

イワト開けとは』

 

 

「自己の魂を磨く」(加筆部分)

 

私も大きくなるにつれて、

旧約聖書の神と名乗る霊声

臨むこともなくなり、

人の世の習いで

私も何時しか

神などと呼ばれる存在のことすら、

すっかり忘れ

大人にと成長して行きました。

 

ただ、

その旧約聖書の神と名乗る霊声

私に言った

【そなた社会の底辺に

身を置かせる。

そなたは社会の底辺を

「ウジ虫」の如く這ってでも生き、

社会の底辺

「人の心の在り方」

に関して学ばせる

と告げられたのですが、

 

その社会の底辺から

なかなか抜けきれなかったと言えます。

 

しかし、

その社会の底辺で

【人の心の在り方】に関して

学ばさせて貰ったとは言えます。

 

 

 

【自己の魂を磨く】を

説いて来ました。

この「自己の魂を磨く」は、

社会の上流界に

生まれたならば、

まず磨ききれません。

 

仮にお釈迦様の様な

シャカ族の王家の様な立場に

生まれたならば、

その地位を捨てて

社会の底辺身を置く必要

あるのです

それは魂の汚れなど

簡単に取れるものではない

からです。

社会と言う荒波に耐えてこそ

人の魂は磨かれるなのです。

 

 

 

イエスが説いた

【幸いなるかな貧乏人】なのですが、

貧乏人だから魂が磨かれる

ではないのです。

ただ、金持ちよりは

天国門を開けやすいなのです。

 

逆に

金持ちの家に生まれたならば、

狭き天国門をくぐれるような人

にはなりにくいなのです。

そこにあるのは、

この世は「楽だ!。楽だ!」で

遊んでいれば、裁く(砂漠)の道

天国の門が通れない

【魂の磨き】の問題なのです。

 

 

 

 

「言葉の仕組み」(加筆部分)

 

私はその時に告げられた

社会の底辺【這う】という言葉に

強い印象を持ったのです。

 

這うとは

=【言の道】です。

 

社会の底辺言葉の道這わせろ?

這うとは不思議な漢字だ!

何の意味かと?

 

 

 

人によっては、

私が書いたこと

単なる【言葉遊び】

と捉えた方達

多数あったと思います。

それは、

言葉の仕組がまったく

理解されていなかったから

と言えます。

 

聖書

「言葉は神と共に在った。

言葉は神であった」とあります。

それすら

理解されていなかった

と言えるでしょう。

 

日本でも言霊とは何か

を知る霊能者若干名です。

まして、

スピリチュアルともなれば

全滅でしょう。

 

だが、

日本語が言葉で仕組まれている

理解出来るならば、

何故に砂漠(さばく)

駱駝(らくだ)が居るのか?。

その必然性に驚くことになります。

 

大本教神諭

何故に「ひらかな」にしてあったのか?。

それは出口開祖が文盲であったから

ではなくて、

そこに

創造神の深い仕組があった

なのです。

言葉の変換です

 

ですから、

言葉の仕組

どれほどのスケールなのか

理解出来るのであれば、

神社仏閣に鎮まる

神霊の段階では無い

と解るはずなのです。

 

 

 

大本教からは

世の大立替として

【三千世界、

節分の炒り豆にも花が咲く】

大宣伝がなされました。

大本教が出した

【ウシトラ】には

節分の牛頭虎パンツ

【鬼と云う牛虎】があります。

 

 

 

その鬼と云うのは

【魂】のこと

世に出ている御神霊達

一柱残らずその魂を改める

大審判がなされるのです。

 

その時には

天地の【一八十】度

でんぐり返しがなされるので、

それを

【イワト(一八十)】開け

ともいうのです。

それらを

言葉遊びと思ってるようでは、

永遠に創造神を見ない者

となってしまいます。

 

 

 

『Xデー 

最後の審判・世の大立替・天の岩戸開け その1』

 神之公園さんブログ『人に内在する良心神』

 2017.07.30より抜粋、加筆

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『人に内在する良心神』ブログ

定期的に更新されています

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ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

 

良い休日をお過ごしくださいね

惟神霊幸倍坐世 かんながらたまちはえませ。

 

 

最後の審判は

各自の良心神の点数で判定されるのです

その良心神の点数として出るのは

各自の

「誠、真、正義、犠牲、忠、博愛、公正」等の行い

なのです

それは自分自身の結果論でもあるのです

 

 

魂の汚れの掃除方法とは

魂が磨かれるではなくあくまで、穢れを取るだけです

 

鍛錬された言霊

魂の穢れを洗い流します

 ・・・祓詞祝詞、天津祝詞、『いろは祝詞』『ひふみ祝詞』

   『アカサタナ ハマヤラワ ガザダバパ』で続く祝詞

 

魂の禊の水行

・・・第七チャクラ(白会)の目詰まり解消

   魂の汚れを取る

   ミカエル「巳(蛇)帰る」現象を起こす

・・・月に三度ぐらい

   昼間の暖かい日に

 

***水行をすれば魂の磨きが遅れていても

   その分を取り返すことができるかもしれません***

   

   魂の中心となる真柱神(良心神)に巻きついて

   それを飲み込もうとする存在=蛇霊の存在

   最後の審判前のミカエルたる

   「巳(蛇)帰る」現象が起きたと推察されます

 

立替の道は3年前の「牛」年の秋から入っています、

 

もはや世に出ている神々では予測が立たず

 

神之公園さん「人に内在する良心神」ブログ より