「釈迦の悟りと
誠印の弥勒菩薩」
お釈迦様の悟りが何であったのか
となった時、
誰しも
菩提樹の下で悟りを開かれた
ぐらいのことは知っていても、
その内容までは知らないわけです。
教祖様が自分は
仏陀(お釈迦様)の生まれ変わりだ
と称しておられる新興宗教の信徒達に、
その悟りを問いただすならば、
人には誰にも仏性が宿ることだ
と云います。
その仏性とは何ぞやと聞きますと、
慈悲の心のことだと答えられます。
確かに、一般的には
そのように云われてます。
本当に、慈悲の心が
正しいお釈迦様の悟り
であったのだろうか?。
それならば、悟りを得たことで
自分は二度と生まれ変わらない
と言い残されたお釈迦様に代わり、
お釈迦様の死後、
お釈迦様の本当の悟りを忘れた人々
に対して
[誠]印でお釈迦様が悟った内容を説く
弥勒菩薩とは
何者なのでしょうか?。
人には仏性が宿る。
その仏性は慈悲の心だ
と云う程度の答えであれば、
弥勒菩薩が出て
[誠]印で説くほどのこと
ではないのです。
弥勒菩薩とは、
諸天 諸神 諸大眷属 に至るまで、
誰もが忘れ去っている
お釈迦様の悟りを
[誠]印で説いて行く菩薩。
この[誠]とは何だろうか?。
何故に[誠]でないと、
お釈迦様の悟りが説けない
のだろうか?。
仏教のイロハすら無視して、
自分は
仏陀(お釈迦様)の生まれ変わりだ
と称する者の教えに乗ってしまうと、
自分を破滅させるだけのこと
になりかねません。
お釈迦様は
菩提樹の下。
悪魔の囁きから
悟りを開かれた。
愛は、
悪魔や獣にも存在する
悪魔と対立する存在は
[慈悲]だろうか?
『第一章・お釈迦様の悟りとは?
「釈迦の悟りと誠印の弥勒菩薩」』
神之公園さんHPより抜粋
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惟神霊魂幸倍坐世 かんながらたまちはえませ。