「目には目を、歯には歯を」
イスラム教世界においては、
イスラム法典の 目には目を、歯には歯を
が説かれます。
人を殺せば、自分が殺される。
自分が犯した罪の分だけ罪を償わなければ行けない。
そこで、
イスラム教聖職者と呼ばれる者達が裁判をします。
この[目には目を、歯には歯を]は、
イスラム教聖職者達が考えていることとは
意味が違うのです。
人は誰であっても
自分に良心があれば、
その良心は人に言われずとも
自分が犯した罪の分だけは
償おうとします。
目には目を、歯には歯をは
他の者が神に代わって 犯罪者に同じ罰を課す
意味ではなく、
自分の良心が
負わなければならない罪状を
指すのです。
自分が犯した罪に匹敵するだけの償いは
しなければならないのです。
仏教において[因果応報]が説かれます。
自分が犯した罪が因となって、
報いとして果が現れる。
イスラム法典における
目には目を、歯には歯をは、
仏教の[因果報応]を語る
のです。
自分の魂の中にある
良心神(エンマ)が、
この世で罪の償いをさせている
のが因果報応。
この世ではこれ(因果応報)が
形を変えて現れるのです。
自分は今世では何も悪いことはしていません。
それは、過去世で自分が何をしたのか
を覚えていないだけで、
良心神(エンマ)は記録している
のです。
人は知らずとも、因果は現れて来るのです。
因果報応=
目には目を、歯には歯を
イエスは
人を叩く者にさらに叩かせて、
マホメットは
叩き返せと教えた。
イエスの教えは
あまりにも左に寄りすぎた為に、
マホメットが修正に入ったら、
逆に右に寄りすぎました。
旧約聖書には
魂の論理は書いてないのです。
『第十章・命とは?
「目には目を、歯には歯を」』
上野公園さんHPより抜粋
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ここまでお読み頂き、有り難うございました。
朝晩はとても寒くなってます、どうぞ体調にはお気をつけ下さい。
惟神霊倍坐世 かんながらたまちはえませ。