「命の字に秘められた
[叩]には」
人を叩く者よりも、
叩かれる者になりなさい
イエスの有名な教えに、
我が頬を叩く者があれば、
反対の頬も差し出せ
があります。
イエスの教えの躍如たるもの。
しかし、この教えを聞いて意味が解る者がいるか
となった時、
この教えが本当に解るようであれば
天使クラスの者でしょう。
この教えに従って、この世で頬を出せば、
そうかそうかと云われてボコボコに
叩かれてしまうでしょう。
イエスの言葉にあるように
豚に真珠を与えてしまった教え。
教えは大衆の理解度に合わせて説くべきで、
万人が天使クラスの者ではないのです。
イエスの教えは言葉が足りません。
同じ説くのであれば、
人の足を踏む者には
踏まれた者の痛みが解らない
と説けばよかったのです。
命の字には、
叩くの[叩]が入っています。
これは、俺の言うことを聞かないと叩くぞ。
しばいてやるぞ とわめく
三流ヤクザの所業ではないのです。
人を叩く者よりも、叩かれる者となって
痛みを知りなさい。
人を叩く者は、他の人の痛みが
解らない
痛みを知らぬ者は、命の尊さが
解らない
この世では、
多々の苦(叩く)が
魂を鍛える
それは、人は人の痛みを知る者になって欲しい
と云う
森羅万象を創られた神からの願い。
人を叩いて 自分の主義主張を押し通す。
それでは、もはや人でも獣でもないガラクタの玉。
魂の命を粗末にしてしまった者なのです。
『第十章・命とは?
「命の字に秘められた[叩]には」』
上野公園さんHPより抜粋
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惟神霊倍坐世 かんながらたまちはえませ。