「救世主たる

九つ花(米)の一輪」

 
私は神霊界に修業に入って、
 
私の修業を受け容れて下さった
 
神界トップの御神霊に、
 
その御台として一番と云われていた霊能者を通じて
 
最後の審判(世の立替)についてお伺いをしました。 

 
すると、その答えは
 
最後の審判(世の立替)起きる。
 
しかし、
 
その時期が何時なのかは解らない。
 
その審判から人類を助ける道が解らない。
 
助ける道が解らないで最後の審判(世の立替)を 
 
人々に告げれば人はパニックになる。
 
それならば、人々に何も告げずに
 
最後の審判(世の立替)の日を
 
黙って迎える方がよい。
 
助ける道が解ってからにしないといけない。
 
と告げられました。 



確かに、助ける道が解らないで
 
最後の審判(世の立替)を告げるのは
 
無責任すぎます。
 
一部の新興宗教は、
 
我が派の教祖様は救世主様である。
 
我が派に入信されれば助かる教義だけ
 
行っています。
 
それに対して、

既存の神霊界が

最後の審判(世の立替)を
 
黙して語らなかった理由は、 

助ける道が解らなかったこと
 
にあるのです。 





明治25年旧2月3日の大本教神諭に、

世の立替があると云うことは、

どの神柱にも判りていれど、

モウ一厘の肝心の事は判りておらん。
 
とあります。

どの神も、
 
世の立替(最後の審判)があることは
 
御存知なのです。
 
問題は、
 
その日が何時なのかどの神様も解らないし、
 
モウ一厘の肝心 (助かる道)も
 
解っていなかったのです。 




私は人類が助かる道はどこにあるのか?
 
探し続けました。
 
自分が救世主とか、
 
イエス一人を神の御子認めれば助かる。
 
そんなバカな話は無いのです。

それならば、
 
正義の者泣いてしまいます。

創造神誠と正義の神あらねばならないのです。

確かに、
 
主の神の姿はどこにも見えません

しかし、どこかに


[誠と正義]の仕組みがあるはず
 
と考えていました。 

 
私は大本教神諭が予告した

九つ花に咲く一輪の言霊の経綸で、

この一輪が救世主たる役に成ること
 
を知りました。

 
大本教神諭モウ一厘の肝心は、
 
お釈迦様の悟り知ることだったのです。 


誠の神が在る故に、
 
誠(言葉で成る)
 
三六九



しかし、
 
諸天を始めとする神々良心を説いても
 
どなたも貴男に良心を説いて貰わなくても
 
良心が大切なことぐらいは
 
知っているで、聞く耳は持たれない。
 
さないと解らないでしょう。


『12章最後の審判は天の岩戸開け
 「良心や愛善の者が居なければ真っ暗闇」』
 上野公園さんHPより抜粋
 (今は神之公園さん)
リンク先こちらhttp://kamikotokai.com/012/
 
ここまでお読み頂き、有り難うございました。
 
良い1日をお過ごしくださいね。
 
惟神霊倍坐世 かんながらたまちはえませ。