一般的に神霊世界に関わる者
 
神霊に近づく為山で修行を積みます。
 
山々を歩き瀧に打たれ、断食などもします。


仏教においては
 
人里離れた山の中に根本道場を造り、
 
世俗を離れて修行を積んで来たのです。


また、キリスト教でも
 
修道院が造られて
 
世俗とは一線を画し
 
修行を続けて来ました。
 
これらを総称して山の行と云います。 


では、
こうした山の行が出来ない者
 
どうすればよいのか?。


山の中に籠もることだけが
 
修行ではないのです。

山の中に籠もる修行より

辛い修行として
 
里の行があるのです。 



山の行には逃げ場があるが 


里の行には逃げ場がない 



私達は社会に生きていると
 
全ての人善人でないことを知ります。
 
中にはどうしょうもない人もいるのです。


特に自分の周囲にそうした人が居て、
 
どうしても関わらなければならない立場
 
追い込まれてしまいます 


と、その苦痛から職場を辞めたり、
 
引越をしたり、
 
精神的に苦しまないといけないこと
 
になります。


これらが里の行
 
逃げ場ない自殺する人達も
 
出てしまうのです。 



一方、山の行では山々を歩き
 
瀧に打たれたり断食しても、
 
肉体的には辛くても精神的には楽なのです。


何故ならば、

山の中修行を積む分には

他人に関わらなくてもよい
 
のです。

自分一人だけで出来る行

他人と関わること修業なのです。 



他を救いて
世根(米)となれ
里の行 

 
お米
[田]の[土]で作る
[里]の行 



この世は楽しいな。
 
美味しいお酒を飲んで、
 
歌っていればよい。
 
それでは、何の行にもなっていない
 
のです。 

 
 
 
『12章最後の審判は天岩戸開け。
「山の修行、里の修行」』
 神之公園さんHPより抜粋
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惟神霊倍坐世(かんながらたまちはえませ)は
 
神様の御心のままに
 
神霊の幸福をたわまりませ という意味です
 
(出口王仁三郎さん曰く)
 
精神的に苦しい時は、
 
どうぞ心の中で、この言葉を言ってみてください。
 
惟神霊倍坐世 かんながらたまちはえませ。