私がある優れた霊能力持つ方と一緒に
 
冨士浅間大社に参拝した時、
 
此花咲くや姫様と呼ばれている御神霊が、
 
その霊能力を持たれる方
 
神に大小などは無いとと言われた」と言うので、
 
私は憮然と聞いていました。
 
・・・
もし私の前に「此花」さんが出て来られて、
 
そんなことを言われたら、私は即座に
 
「そうした言葉を出すから
 
人は間違えるのだ」
 
と論破に入ったでしょう。

 
 
 
上記の図が解っていたならば、
 
そんな論理は通用しないからです。
 

神に大小が無いと言うのは、
 
神界全体を一本の樹木に例えた時
 
言う言葉であり、
 

それは大本教神諭にも述べられている
 
枝葉の神ばかりが栄えて
 
「根元」枯らして何とする
 
解っておられないことになります。



今の神界
 
枝葉の神ばかりが茂って

根元神の存在を
 
見失っている状況
 
にあるからです。

・・・
枝葉の神と根元の神は一体の樹木
 
であったとしても、
 
それをもって神に大小は無いなど
 
もっての他の論理であり、
 
その言葉そのものが
 
創造神を軽んじること
 
になるのです。




立替と言っても、立替とは

人間だけが裁かれるのではなくて、

これまで世に出ていた
 
御神霊の責任をも問うもの
 
であり、

神霊だから裁かれないではなくて、


諸々の神霊も裁いて行くのです。


 
神霊に対する裁きがある
 
ということは、

神霊には高低の段階がある
 
ということなのです。

ですから、大本教神諭は
 
上に居た者でも下に落とす
 
と告げたのです。



こうした魂の点数

創造神の別の顔、
 
閻魔大王から出るものなのです。




私は神通力者と呼称する方から、
 
貴方自身が「閻魔大王」様その方ではないか
 
との質問を受けたことが2つほどありますが、
 

私自身ではなくて
 
私の背後閻魔大王様を見た
 
と言われる霊能者の方達の方が
 
正しい見方かと思います。
 

私を殺しに来た神通力者の生霊がありましたが、
 
閻魔庁がその神霊である天狗の羽落とし刑や、
 
本人の生霊を「肥溜め」に落とす光景
 
見て来ましたので、
 
あまり間違ったことは述べていない
 
と思います。




この魂に出る点数とは、

私達
人間の場合
 
その人の「良心神」によります。

良心では無くて
 
良心神(この世の閻魔)です。


その点数に応じて
高い世界に進むことが出来ます。


第三天国が「五次元」相応になり、

第二天国が「六次元」相応になり、

第一天国が「七次元」相応になります。


 
ですから、霊界の次元階層に阻まれて
 
第二天国界の天使といえども
 
一天国界の詳細は知らないのです。
 

ただ、そうした階層を越えられる特別の天使が存在しており、
 
そうした天使達から上級界があることを知る程度なのです。

中有界や地獄界は「四次元」世界です。




で、みろくの世
「五六七」と呼ぶわけです。

みろく世では「中有界や地獄界」は消滅する
 
と説いておられる方達もありますが、
 

みろく世はがこの地球上で成り立つのであれば、
 
そうした説も正しいことになります。
 

私は私の論が絶対的に正しいなどとは言いませんが、
 
私が子供の時に聞かされたのは、

「五六七」で成り立つ新地球

「三四(三次元と四次元)」
 のみを残す現地球

に別れる話でした。

そして、私は子供の時に
 
「そなたはこの私が仕組んだ内容を
 
世に知らせようとしないのであれば、
 
そなたも永遠に
 
この地球で輪廻して暮らすがよい」
 
と告げられたほどなので、
 
私は地球人類が滅びるなどの説には
 
組みしていません



どこまでも
別ける方の「捌き」です。



私はその時期が何時なのかは知りませんが、

みろく(五・六・七次元)の世
に行く人達と、

この地球(三・四次元)
に残る人達との

永遠の別れを論じているのです。

が、その残される「三・四次元」の世界とは、
 
もう創造神たる主神の恵みがない世界
 
となりますので、
 
力の強い者が生き残る地獄模様
 
になりかねません。




これが岡本天明氏の日月神示にある

「三四五(みよいづ)」から
 
「五六七(みろく)」の意味 でしょう。

「五」が移動していることが
 
お解りにならなかったようです。



小乗・大乗仏教(5)に続きます

 
神之公園さんブログ『人に内在する良心神』
「魂を磨け、悪をするな、
小乗・大乗仏教の本当の意味するところ」
2015.2. より抜粋
 
ここまでお読み頂き、有難うございました。
 
本日も寒い朝となっております、何十年かに一度の寒波だそうです。
温かい飲み物、小物等で、身体の体温を保ってお過ごし下さい。
 
 
修養と、清らかな行いと、真理を観ること、安らぎを得ること、
これが最上の幸福である。
(原始仏典スッタニパータ267より)
 
惟神霊倍坐世 かんながらたまちはえませ。