私達はどうしても【最後の審判】と言いますと、
 
聖書の内容に囚われたり、
 
ミケランジェロが描いた「最後の審判」の絵
 
概念的に思い込んでしまいます。




人は誰もが「神の子・神の宮」であり、

神とも成れる魂創造神から頂いています。

それは日本古来の神道で

「一霊四魂」で説かれている
 
「直霊(ちょくれい)」の部分です。

これを「なおひ」とも呼ぶ方もいますが、
 
なほひの場合は本来は「直日」と書きます。
 
だが、それだけでは
 
基本的な理解が進まないでしょう。

 
 
私達の体を構成しているのは
 
一つ一つの「細胞」です。

そうした細胞には
 
必ず「核」と呼ばれるものが存在しています。

大きく言えば「卵の黄身」の部分
 
と思えば解りやすいでしょう。
 
 
卵の黄身=魂(玉)の君

以前の私のブログに出した図を再掲します。


 
私達の個々の魂の中にも

直霊たる「君(核)」が存在します。

これは天帝(君)からの分霊であり
 
「直霊」となります。

この部分が 大本教神諭にある

「神」とも成れる魂
 
を授けてあるにも関わらず

に当たるのです。


それを単純化した意味が
 
大本教から「⦿」として出されたのです。

が、これを持って「ス」神と説くと、

大本教神諭に出された
 
「この世の閻魔」の意味が

解らなくなるのです。

 
円の真ん中にある「円真」は、

お釈迦様が悟られた

「人には良心と呼ぶ神が内在する」
 
の「良心神」論
 
でないといけないのです。



この世の閻魔=良心神だからです。




出口王仁三郎聖師の間違いを正すには、
 
大本教神諭が予告した「九つ花」をもって
 
「みろく(369)の米でラ神論」
 
に更正させないと、
 
せっかくの大本教の演技も意味が解らなくなります。

ex
「⦿」

日月岡本天明氏に懸かったのは
本当の国常立尊様ではないでしょう。
ですから
間違って「○にゝ」などが出て来たのでしょう。



最後の審判とは、

この「円真(神の子)」
 
「神の宮」となっているかどうか

を調べる最終審査のことなのです。

 
何故ならば、最後の審判は
 
=「創造神たるエンマ」がするからです。
 

大本教が出した記号を見て「円真」に気づかないとは、
 
お里が知れています。



いくらあの人は「良心」の人だ
 
と言ったとて、

それで「良心神」があるではないのです。

唯一なる神の「直霊」の点検であり、

単に私は善人でございますでは、

本当の天国門は開かないのです。


ex
中有界の上界

 
一瞬見れば天国にも見えます。

そうした世界を見て、そこが天国だと思っていると、
 
今日までは
 
またもや地上界に出さされる輪廻転生
 
免れなかったわけです。



この「円真」の診断を

=「子・宮」検診と言います。


→その検診が始まりだしました。

→ただ、それは

みろく世に渡る人達
 
みろく世でどの地位に進むのかの診断であって、

その診断そのものは現時点では任意のはずです。

→そのことを各自の肉体が知るではありません

何故ならば、




みろく世に渡る道には

「天人」として「転任」する道と、

=みろく世の
指導者(神)となる道 
 
があるからです。




先に、
 
そのみろく世の指導者(神)と成る検診

=霊界で開始されたと思われます。



こうしたことは必ず霊界が先になりますので、
 
霊界で起きないことこの世で起きるはあり得ないのです。
 

霊界で魂の「神の子・神の宮」検診が始まったということは、
 
やがて時を経て何等かの形で
 
私達の身にも起きて来ることにはなるのです。



つまり、
人は「神の子・神の宮」となる時は

刻々と近づいて来ているなのです。


 
 
 
 神之公園さんブログ『人に内在する良心神』
人は「神の子・神の宮」。最後の「子・宮」検診にと入る
2015.02.01 より抜粋
 
ここまでお読み頂き、有難うございました。
本日も寒い朝となっております。
野菜、果物等ビタミン類を十分にお取り下さい。
風邪、インフル等、他の病気等も改善、予防できるという話もあります。
ぜひ今一度、ご自分の食事内容をお考え下さいね。
私事で恐縮ですが、野菜、果物の分量を増やしただけで、
精神的な安定感がとてもとても向上なんです。
 
良い1日をお過ごし下さい。
 
惟神霊倍坐世 かんながらたまちはえませ。
 
石垣の苔も凍りついて、寒そうですが…、健気で愛おしく。