私はある霊能者から
貴方は「第十識界」に上がってください
と言われて、
いくら何でも無茶なことを言うのですか。
お釈迦様でも第七識界とされているのに、
私が如き者が行ける世界ではありません。
天帝の御座所ですよと返答しました。
この「識界」とは、
仏教で説かれる全宇宙は
=
この「識界」とは、
仏教で説かれる全宇宙は
=
「六界」で構成されているとします。
その六界とは、
=
「地界」。「水界」。「火界」。
その六界とは、
=
「地界」。「水界」。「火界」。
「風界」。「空界」。「識界」で、
=
地界・水界・火界・風界・空界は
地界・水界・火界・風界・空界は
物質界を構成する要素です。
「識界」は
=
精神世界を指した言葉です。
=
精神世界を指した言葉です。
よく言われる「六根」とか「六道」
とは別の「識界」です。
お釈迦様やイエスや弘法様や日蓮さんは、
お釈迦様やイエスや弘法様や日蓮さんは、
この「識界」レベル上位で語られる存在で、
世に出ておられる神々が別格の存在だと言われるのは、
世に出ておられる神々よりも
識界レベルでは高いのです。
→
私が神霊世界に修行に入った時、
私の側には常に三体のお坊さん姿の方が居て、
私に対して何を言われるでもないのですが、
私を守っていてその様子を見ていて
真ん中の方は「日蓮」らしき方。
→
だが「日蓮」さんでは意味が解らずに居ましたが、
後日それは「日蓮」さんであったことが解りました。
どうして私に「日蓮」さんが出て来ておられたのか
の理由は後に解りましたが、
→
私の師匠であった方が「日蓮」さんは特別の方です。
自分とは比べようもない存在と言っておりましたが、
スピリチュアルの方達とは段違いの霊能力を
持たれていた師匠でも、
日蓮さんと師匠自身の識界レベルの違いを認識
されていたようです。
本来ならばこの世に降りて来ないほどの
本来ならばこの世に降りて来ないほどの
霊界の方達が、
この世に降りて人類に教えを説いたのです。
スピリチュアルで
お釈迦様やイエスや弘法さんや日蓮さんが
自分と同等だ
と思っているような存在の方達
ではないのです。
巷で自分の過去世は「お釈迦」様であった
巷で自分の過去世は「お釈迦」様であった
と名乗っている方は多数居られますが、
どの方も識界レベルで見ると、
あり得ない低さなのです。
→
別にスピリチュアルで言う「神は光」などで
判断する必要はありません。
なまじ光の判断で行きますと、
自分より光の強い存在を見ると、
その方の前世がお釈迦様でもなんでもないのに
お釈迦様であった方などと、誤った判断を
犯してしまうからです。
→
ほとんどのスピリチュアルの方達は、
そうした誤りに陥るのです。
十数年前、ヤフーの掲示板に某宗教を語ろうの板
十数年前、ヤフーの掲示板に某宗教を語ろうの板
がありました。
アンチ派も大歓迎と言うことで
スレッド主とかなり議論しました。
→
そのスレッド主は
自分には霊能力があり、自分の霊能力では
教祖様は金色に光輝いておられるです。
その教祖様の自称名を言えば
ほとんど知らない方はいないでしょう。
→
その霊能力がある方には
その教祖様が光輝く金色に見えたのでしょうが、
その方が自分は霊能者だと言うのには
あまりにも霊界レベルが低い。
行者の世界に入ると通用しないレベルです。
単なる霊感者レベルです。
→
そのレベルだと、
白狐から【下郎の分際で頭が高い】と
一喝されてしまうレベルなのです。
稲荷行者の中にも、
稲荷行者の中にも、
白狐霊程度にこき使われている方達
があります。
それでも「人助け」が出来ているならば、
それはそれでいいわけです。
だが、それをもってして
「神の世界」が解っているようなこと
を言ってはいけないなのです。
そうしたレベルで、
そうしたレベルで、
教祖様は光輝いておられると言われてもです。
私の過去のブログに
光かと思ったら天狗さんを書いておりますが、
かなりのレベルの霊能者の方でも
「光」に欺されるは起きます。
→
だが、
その方の霊界レベルが高いとしても、
「霊能者ならば見抜けるかと」言いますと、
そうは行かないのです。
→
一人一人が見る「光」の範囲とは
限定された光の世界であり、
自分とかけ離れた世界の光だと
逆に見えないのです。
→
非常に霊界レベルが高い存在の方だと、
光を見て判別するは不可能に近いのです。
私はへぼ碁を打ちますが、
私はへぼ碁を打ちますが、
自分と碁を打つ方は
上は2~3目の石を置く方。
私が石を置かせる方は2~3目程度下の方。
それを外れてしまうと どちらも打ちづらいのです。
→
→
光の世界も同様なのです。
あの人の光は凄いと言っていても、
それは自分より少し上程度の方。
段がかけ離れてしまいますと
もうその光は見えないのです。
なまじ霊能力があると、
なまじ霊能力があると、
自分が持つ光を物差しにして、
それに当てはめようとするから
誤ってしまうのです。
ニセ創造神。ニセ仏陀に引っかかるのは、
自分の光がそれほどの光でないことを
自覚せずに、
自分は高い光の者と思い込んでいる錯覚
から生じます。
これらのことは、私は「神名機関説」として
述べて来ています。
神之公園さんブログ『人に内在する良心人』
先人訓その1
【貧者の一灯】と【幸いなるかな貧乏人】の
先人達の教えで開く「天国門」
2016.02.21より抜粋
神之公園さんブログ『人に内在する良心人』
先人訓その1
【貧者の一灯】と【幸いなるかな貧乏人】の
先人達の教えで開く「天国門」
2016.02.21より抜粋
ここまでお読み頂き、有り難うございました。
本日は冬らしい気温が戻って、とても寒くなってます。
昨日と~10度ほど最高気温に変化があるそうです。
関東圏の方は特に気をつけてお過ごし下さい。
惟神霊倍坐世 かんながらたまちはえませ。