少し前の記事で、


魂に=点数が出る不思議を書きました

 

魂とは

=「玉思惟」で丸い玉なのですが、
 

 

日本の国に常に立つ御言

 

(日本語・国常立尊)
 

何故に

 

玉思惟「魂」という漢字を使わせたのか

 

と言いますと、
 

=「ウシトラ」の意味を教える為です。
 

 

思惟=【深く考える】ことなのです。

 

物事を深く考えないと

 

奇魂(くしみたま)の働き

 

起きないことにより
 

玉思惟(魂)の点数上がって来ない

 

わけです。
 

 

ですから、
 

幾度も幾度も嫌がられるほど

 

口酸っぱく言って来ましたが、
 

「愛」だ!。ばかりを言っている方は、
 

=魂の磨きにはほとんど結びつかないのです。

 

 

 

 

 


よく、霊感が強い女性に見られる傾向として、
 

考えるのじゃなくて自分の直感に従うべきだ
 

と言われる方が圧倒的に多いのですが、
 

それでは

 

深く考える学びの奇魂働いていない為に
 

その次元が何時まで経っても上がらない

 

が起きて来ます。
 

 

例えば お釈迦様でもイエスでも、
 

非常に奇魂の働きが強いことが解ります。
 

そこには正しい思考が入っています。
 

だが、
 

自分の直感ばかりを言われる方は

 

=「光」に惑わされて、
 

…自分の前世が釈尊とかイエスと名乗る
    

 

ニセ者の五次元とか六次元程度の光の存在に
        

 

コロリと騙されてしまうが往往に起きてしまいます。

 

 

 

 

 


少し前、かなりの霊力が有る神通力者さんが
 

私が知る光を持っている人のことを言われていまして、
 

それは他の神通力者さんも同じことを
 

言われてはいたのですが、
 

私がそれは違いますよとメールを送ったところ、
 

お前の程度の者に何が解るかとおっしゃいますので、
 

そこまで言われるのならば
 

私の背後の存在を目を見開いてしっかり見なさい
 

と伝えておきましたら、
 

その後、お赦しくださいと詫び状が届きました。
 

私にはその詫び文以外は何も言われませんでしたが、
 

他の方には私の背後の光殺される
 

あんな恐ろしい光は見たこともない

 

ブルブル震え上がられたとのことでした。
 

この神通力者の方は 

 

スピで愛を言っている方とは
 

段違いの実力があると見受けました。
 

しかし、
 

私の背後にある存在までは見通すお力はなかったようです。
 

見せびらかしている存在は、

 

さほど高くないのです。

 

 

 

 

 


その方何を見られたのか?。
 

それは私が説いている「良心」神の光だったのでしょう。
 

良心神の光

 

真性天照太御神として顕現する光だからです。
 

スピを自称されている方で、
 

「光に殺される」と言うような凄い光を見られた方は
 

たぶんおられないでしょう。
 

神社仏閣に祭られている御神仏が
 

出される光の段階ではないのです。
 

それが「天の岩戸の中の光」と呼ばれる光です。
 

私もはその光を見たことで、
 

この光が表に出たら大変なことになる。
 

この光が出された時対処するには
 

どうしたらいいのかと探って来て、
 

人の魂の中にある

 

「良心神」の存在導き出したのです。

 

 


天の岩戸の光は、

火炙りの刑の如く

 

 

 

 

 


私が未だ「人に内在する良心神」に気づかない
 

30年ぐらい前、
 

出口王仁三郎聖師の言霊顕彰会の講演で、
 

私は当時の師匠の代理として
 

東日本日本大震災を予言したと言われている
 

松原照子さんと
 

二人で講師として講演したことがあります。
 

その講演が終わった途端、
 

私はその会場に居た二人の女性霊能者に
 

抱きつかれてしまいまして、
 

何事と思っていましたら、
 

貴方の胸の奥の中岩窟のトンネルがあり、
 

その奥真性天照太御神様が居られると言って
 

オイオイと泣かれるのです

 

 

 


聞いた私はポカンとしていました。
 

まして真性天照太御神の意味が解りませんでした。
 

もし、皆さん
 

天の岩戸と呼ばれる光を見たとしたならば、
 

光に殺される、お赦しください
 

震え上がることになります。
 

 

否、その前に 

 

大本教神諭に、

 

自分を殺せとのたうちまわるとあるほど、
 

その光に苦しむことになるでしょう。
 

それは魂の汚れを一切赦さない光だからです。
 

自己の魂に汚れがあれば、
 

それを焼き尽くす神の光なのです。

 

 

 

 

 


自己の良心神の点数を上げるということは、
 

「米」で説かれる天の岩戸開けの時に出るに、
 

自分がどれだけ耐えられるかということなのです。

 

 

 

主の神私達の魂の契約
「禊ぎ」にあります

 


「禊ぎ」とは
自分の魂の汚れ

洗い落とすことです

 

 

 

 

 


魔界を一瞬に消す光の剣を持っている
 

と豪語されている方が、
 

神との「契約書」を捨てなさいと言っておられましたが、
 

私にはどう考えても意味が解らない教えでした。
 

自分の魂の「汚れ」を取ることが
 

私達の個々の魂主神との契約であり、
 

その契約に従って玉思惟(魂)の汚れ祓い清める。
 

すなわち「御祓」です。
 

また、字を替えると「禊」です。
 

主神との契約を破棄するということは、
 

もう私は魂の汚れを落とす磨き一切しません。
 

そう宣言することだからです。

 

 

 

 

 


それで自己の魂の汚れを祓うこと止めれば、
 

後で泣くのは自分なのです。

 

何を証拠に?。言葉をよく見れば意味が解るはずです。

 

 

禊(示・契)

神との約の

=身滌(みそぎ)

 

 


だが、

 

いくら言葉(漢字)に示してあっても、
 

自分が「光」を言うものに騙されていることに
 

気づかない人が多数おられます。
 

どんな新築の家も、そこを閉めておいたら
 

「チリやホコリ」は溜まります。
 

為に新築でも住まない家は掃除をしなければなりません。
 

魂も同様に
 

いくら聖人君子の生き方をしたとしても、
 

魂にチリやホコリ必ず付着します。
 

それは常に祓い(掃除)清めを

しなければならないのです。

 

 

 


そのチリホコリ

「光」で消えるでしょうか?。

 


その意味が
 

日本神道の祝詞、

 

【身滌(みそぎ)】の祓いなのです。

 


【滌】は、
洗うすすぐ(濯)の意味で、
身(魂)の洗濯

 

 

 

 


その禊ぎとは
 

瀧に打たれたり、川の中に入ることではないのです。
 

それを禊ぎと言うのであれば、それは間違いです。
 

私も瀧に打たれたりしますが魂の禊ぎではなくて、
 

自分の「精神統一」の為です。
 

雑念を祓って無の状態を起こさせる為です。

 

 

 

 

 

神之公園さんブログ『人に内在する良心神』
「創造神との各自の契約の示し。
 アワで魂の禊ぎの阿波岐原」
 2014.01.より抜粋

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=279#trackback

 

ここまでお読み頂き、有り難うございました。

ネットに繋がりにくいようです。

 

本日も寒い日になっております。

できるだけ、果物と野菜を沢山お取り下さい。

健康増進して下さいね。

身体も心も暖かい休日となりますように。

 

惟神霊倍坐世 かんながらたまちはえませ。