この「四つ花」表に出て来なかった

もう一つの理由は、
 

これが「獅子」をも語るからです
 

獅子とは「ライオン」が元ではありません。
 

獅子は架空の動物です。

 

 

 

 

 

ライオンとは【来音】

 

聖書では
天使達が最後を告げる

「ラッパ(喇叭)」音を吹く
とされますが、

 

これは
「七の世終わり、
八の世の口見えた時(叭)

刺す(突く)音」で、
 

【皆殺しの音】が聞こえて来ます。
 

大本教の霊界物語【鏖殺】とありまして、
 

これは【鏖】一字で「皆殺し」と呼ぶのですが、
 

全員この世を去って次の世にと移行します。
 

 

何故に鏖殺には
 

【鏖(みにごろし)】の後にも
「殺」があるのですか質問

受けたことがありますが、
 

これは

聖書にある一度目の死と、
二度目の死があるからです。
 

 

一度目の死
現在の肉体を脱ぐ為であり、

 

私達が受けなければならない

「審判」とは、
 

二度目の死

受けるか

受けないかの話なのです。
 

 

大本教から「立替」として出されたのは
「全員が永遠の死」ではないからです。

 

建て変わった新しいみろく世

生まれる為の死です。

 

 

 


全ての人類を

救えるか救えないか
 

「最初の死」ではなくて、
二度目の死の時の話になります。

 

霊界での話となります。
 

で、今の世で
「自分が救世主」はあり得ない
のです。

 

 

 


いよいよ立替の為、
 

この世の「幕締め」にと向かっている
のでしょうが、
 

「甲州金」で示された意味には、

 

 

 

 


武田の旗印に【風林火山】があります。
 

獅(四×四)子「獣の師の子」ですが、
 

獣ではない【師】
 

=頭(かしら)とか長官の意味です。
…ex師団=「軍隊」の編成団ことです。
 

=また、天子の最高補佐官です。
 

が、
 

「師」は
 

一般的には道理を伝えたり、学びを教える
 

あるいは特殊な芸や技術に優れた存在を指して、
「先生(専制)」と呼ばれる人

にも使っているわけです。

 

…ex弘法大師等です。
 

 

その【師】と同様なのが

 

【帥】で、
 

こちらも同じ頭(かしら)とか長官の意味ですが、
 

軍を率いる最高の将官
「元帥」などと呼ばれるわけです。
 

ex

戦前の日本では天皇陛下のことを
【大元帥】と呼んだわけです。
 

 

 

大元の帥(師)に統括された天軍
「終わりの時」には動いて来るのです。

 

聖書ではこれが「万軍の主」となります。

 

 

 

 

 

風林火山とは、
 

【疾(と)きこと風の如く、
徐(しず)かなること林の如し、
侵掠(しんりゃく)すること火の如く、
動かざること山の如し)】
です。

 

 

 

神軍

 

走る時は風のごとく速く動き(疾風)。
 

その陣は見ていても徐々に林が
 

自分の側に近づいていることが
 

解らぬように静かであり。
 

その攻撃は火のようにすさまじく。
 

動かない時には山のように微動だにしない
 

という意味です。
 

これ自体は「孫子」の軍略ですが、
 

 

 

「最後の審判」と呼ばれるものは、
 

それが来る時は 風のごとく来て、
それが近づいていることは誰も解らない

 

その勢い火であり、
それが無い時泰然としているのです。
 

平和ボケをしていると、
その時が

近づいて来ていることに気がつかない

 

なのです。

 

 

 

 


私は「九つ花」と違って、
これまで「四ッ花」は意味が解りませんでした。
 

だが、
この甲州金「四ッ花」の意味が解けました。
 

それは武田家の家紋からです。
 

四つの国ではないかと四国を回っても、
武田の「菱形」に気づかなかったわけです。

 

 

 


大本教神諭、
この仕組みに「三千年」かかった。

 

スピリチュアルで出て来るような霊では
絶対に仕組めないし紐解けないのです。

 

 

 

 

神之公園さんブログ『人に内在する良心神』
「最後の審判迄の【時は金なり】と
 四ッ花で知る甲斐の【風林火山】。
 そして、解釈誤りのお詫び。」
 2016.01.30  より抜粋

 

 

 

 

以上、私的要約です。

以下、原文です。

クローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバー

 

 

 

この「四つ花」が表に出て来なかった

もう一つの理由は、
 

これが「獅子」をも語るからです
 

獅子とは「ライオン」が元ではありません。
 

獅子は架空の動物です。

 

 

 


ライオンとは【来音】

 

 

 

 

聖書では
天使達が最後を告げる「ラッパ(喇叭)」音を吹く
とされますが、

 

これは
「七の世が終わり、
八の世の口が見えた時(叭)に刺す(突く)音」で、

 

【皆殺しの音】が聞こえて来ます。
 

大本教の霊界物語に【鏖殺】とありまして、
 

これは【鏖】一字で「皆殺し」と呼ぶのですが、
 

全員この世を去って次の世にと移行します。
 

 

何故に鏖殺には
 

【鏖(みにごろし)】の後にも
「殺」があるのですかの質問を

受けたことがありますが、
 

これは

聖書にある一度目の死と、
二度目の死があるからです。
 

 

一度目の死は
現在の肉体を脱ぐ為であり、

 

私達が受けなければならない「審判」とは、
 

二度目の死を受けるか

受けないかの話なのです。
 

大本教から「立替」として出されたのは
「全員が永遠の死」ではないからです。

 

建て変わった新しいみろく世に

生まれる為の死です。

 

 

 


全ての人類を救えるか救えないかは
 

「最初の死」ではなくて、
二度目の死の時の話になります。

 

霊界での話となります。
 

で、今の世で
「自分が救世主」はあり得ないのです。

 

 

 


いよいよ立替の為、
 

この世の「幕締め」にと向かっている
のでしょうが、
 

「甲州金」で示された意味には、

 

 

 

 


武田の旗印に【風林火山】があります。
 

獅(四×四)子は「獣の師の子」ですが、
 

獣ではない【師】は
頭(かしら)とか長官の意味です。
 

師団と言いますと「軍隊」の編成団ことです。
 

また、天子の最高補佐官です。
 

が、
「師」は
一般的には道理を伝えたり、学びを教える。
 

あるいは特殊な芸や技術に優れた存在を指して、
 

「先生(専制)」と呼ばれる人にも
使っているわけです。弘法大師等です。
 

その【師】と同様なのが【帥】で、
こちらも同じ頭(かしら)とか長官の意味ですが、
 

軍を率いる最高の将官で
「元帥」などと呼ばれるわけです。
 

戦前の日本では天皇陛下のことを
【大元帥】と呼んだわけです。
 

大元の帥(師)に統括された天軍が
「終わりの時」には動いて来るのです。

 

聖書ではこれが「万軍の主」となります。

 

 

 

 

風林火山とは、
 

【疾(と)きこと風の如く、
徐(しず)かなること林の如し、
侵掠(しんりゃく)すること火の如く、
動かざること山の如し)】です。

 

神軍は

 

走る時は風のごとく速く動き(疾風)。
 

その陣は見ていても徐々に林が
自分の側に近づいていることが
解らぬように静かであり。
 

その攻撃は火のようにすさまじく。
 

動かない時には山のように微動だにしない
 

という意味です。
 

これ自体は「孫子」の軍略ですが、
 

 

「最後の審判」と呼ばれるものは、
 

それが来る時は風のごとく来て、
それが近づいていることは誰も解らない。

 

その勢いは火であり、
 

それが無い時は泰然としているのです。
 

平和ボケをしていると、
その時が近づいて来ていることに気がつかない

 

なのです。

 

 

 

 


私は「九つ花」と違って、
これまで「四ッ花」は意味が解りませんでした。
 

だが、
この甲州金で「四ッ花」の意味が解けました。
 

それは武田家の家紋からです。
 

四つの国ではないかと四国を回っても、
武田の「菱形」に気づかなかったわけです。

 

 

 


大本教神諭、
この仕組みに「三千年」かかった。

 

スピリチュアルで出て来るような霊では
絶対に仕組めないし紐解けないのです。

 

 

 

 

神之公園さんブログ『人に内在する良心神』
「最後の審判迄の【時は金なり】と
 四ッ花で知る甲斐の【風林火山】。
 そして、解釈誤りのお詫び。」
 2016.01.30  より抜粋

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ここまでお読み頂き、有り難うございました。

ネットに繋がりにくいようです、調べましたが理由が解りません。

可能なところで、更新してます。

よろしくお願いします。

 

今日も1日お疲れ様でした、

体調は崩されてないでしょうか、

早めにビタミン類を取って、ゆっくりお休み下さい。

 

惟神霊倍坐世 かんながらたまちはえませ。