そして、
隠された意味に「甲州金」が出て来たことです。
金ならば「金塊」も「小判」もあります。
また、
金銭的意味であれば
福沢諭吉の今の一万円札を
積み上げてあってもいいことです。
そこに「甲州金」が出て来たことに
意味があるわけです。
甲州金の意味は【武田】です。
【甲斐の虎】です。
その武田家の「家紋」で
「四つ花」に気づくことが出来ました。
甲斐の虎の武田家の家紋とは
「四ッ割菱」ですが、
その武田家の家紋とは直接の関係はありません。
どこまでも型見せです。
江戸時代の貨幣は
武田家で制度化された「四進法」
が使われました。
その武田家の四進法とは
=
一両は4分 一分は4朱(一両は16朱)
一朱は4糸目(一両は64糸目)。
四ッ花とは、
図形化すると次のような感じのこと
を指すのです。
私達の肉体の中にある「魂」は、
=
日本神道では【一霊四魂】として知られます。
そのことは
このブログでも何度か述べて来た事です。
そのこと自体は
多くの日本の神道家の方達からも
説かれているはずです。
また
大本教の出口王仁三郎聖師を初めとして、
多くの宗教家も「一霊四魂」は出されました。
そんなことに一切おかまないなしが
スピリチュアルと言えます。
そうした中で、
大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた
【一霊四魂と五情】の関係は
「秀逸の教え」と言えます。
ただ、
こられは平面的説明として多用されるのですが、
実際には
この様な形ではなくて、
魂全体に混在して広がっているのです。
私自身「うかつ」であったのは、
【一霊四魂】の論理は、
=
どこまでも良心神(直霊)が存在してることが
「基本」となっているのであって、
「スピリチュアル」のように
=
「良心」神を無視して「愛」しか言えない
ミカエルとかに化けて来る蛇霊類に
支配されていると、
→
そこに「直霊」そのものが
存在しなくなっていることでした。
出口王仁三郎聖師の
「一霊四魂」説ばかりを見ていると、
=
そこには「曲霊(悪神)」であっても
「直霊」が存在していることになるのです。
しかし
「九つ花」で見ると、
良心神の場を【空く間】にしているのが
悪魔であって、
曲霊(悪魔)は
=お釈迦が悟られたように存在していないのです。
=単なる現れ(表れ)です。
=存在しないということは、
→
「空く間」では出口王仁三郎聖師が説かれた
「一霊四魂」の論理が
それには該当しないのです。
→
それは「四魂」の現れなのです。
現われ(表われ)は、
魂の汚れを「洗えば」消えるもの
何故に私に最後として四国の入口、
阿波から全国一の宮を巡れと出たのか?。
四魂の洗いです。
空く間(悪魔)は
「四魂」のみの時の現れ
なのです
自分が反省したり、悔い改めた時には
=
空く間(悪魔)が消えて、
「良心神」が入って来るのです。
曲神は
=
四魂が創り出すもので
実体が無いのです。
私自身、
出口王仁三郎聖師の解釈の誤りに
気づいていませんでした。
振り返ってみれば、
良心神が
曲神に成ることそのものがない
からです。
ここに、
それを解説出来ていなかったことを
お詫びいたします
そもそも【人に内在する「良心神」】とは
お釈迦様の悟りであり、
お釈迦様の悟りとは
=
「悪魔は実体の無い現れで有り。
人には良心と呼ばれる神が内在する」でした。
為に
「九つ花」の仕組みは
=
大本教神諭が説いた「この世の閻魔」であり、
【五十六億七千万】も出せるわけです。
悪魔とは
=
実体は無い現れだと
理解出来ないと「悟」りには到らないのです。
そもそも悪の「亞の心」は、
=
主の神の命令に従わない者達です。
=
「主の神」を亡き者として
「墓(ハカ)」に葬った者達
の意味です。
良心神が無き(亡き)者は
人の姿をしていても
その魂は「獣(四つ足)」なり
大本教神諭に
世に出ている神々が
「四つ足」であることを
暴くぞとあります。
なお、この四つ足とは
=
「四魂のみ」の者を指すので
=
蛇霊や西洋で言う翼を持った霊達も同類です。
=
八根の意味を異にしているのです。
獣の者(猪)は
「シシ(四四)」なり
神之公園さんブログ『人に内在する良心神』
「最後の審判迄の【時は金なり】と
四ッ花で知る甲斐の【風林火山】。
そして、解釈誤りのお詫び。」
2016.01.30 より抜粋
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=405#trackback
ここまでお読み頂き、有り難うございました。
連日、ネットに繋がりにくいようです。
本日も寒い朝となっております。
関東地方でも雪が降るそうです。
野菜、果物等で、ビタミン類をしっかりお取り下さい
寒さ対策をしてお出かけくださいね。
惟神霊倍坐世 かんながらたまちはえませ。