駿河台予備校は今でも受験生であふれております。
私も、
ここに1年間通いました。
営利目的の気に食わない予備校でしたが、
なんと言っても全国の受験生のトップが集まっていましたし、
講師も教え方が優れた人が多かったようです。🧑🏫
武道館で入学式をやりました。
予備校の入学式なんて嬉しくもなんともありませんでした。
ここで、
小学校の同級生の上原に会いました。👨
東大を受けて落ちたそうでした。
早稲田、
慶応には受かってたようですが、
入学はしなかったようです。🧑🎓
もったいない話です。
小学校から優等生、
新宿高校では学年でトップだった彼にしてみると、
東大以外眼中になかったのかもしれませんでした。
このとき彼はスキンヘッドでした。🧑🦲
「お前、その頭どうしたんだ」
「試験に落ちたから坊主にしたんだよ」
「それにしても久しぶりだな」
「ああ、でもこんなところで会いたくはなかったな」
「まったくな。安藤は東大に入ったよ」
「試験は運だからな。安藤は医学部じゃなかったの」
「試験直前に変更して理一にしたらしいよ。安藤では理三は無理だったと思うよ」
「阿部が一橋だったかな」
「あいつじゃその辺だろうな。戸塚一中の数学で4しか取れなかったからな」
「来年何とかしないとな。来年も文一受けるの」
「まあな。お前はどうするの。理三受けるの」
「医学部志望じゃないから理一にすると思うよ。一年は長いだろうな」
そんな会話をして上原とは別れました。
その後上原は予備校にはぜんぜん来ないで、
かといって家に電話すればお母さんが予備校に行ってます、
と言っていました。
喫茶店で時間を潰していたらしいです。
私は無気力なまま予備校には通っていました。
ろくに勉強もしなかったので成績は横ばいでしたが、
理一の合格圏内をキープするべく努めました。
入試直前になって、
上原は文三を受けると言いました。
強気の上原にしては信じられない妥協でした。
「どうして文一受けないんだよ」
「もう浪人は嫌だよ。手堅く文三でいいことにしたよ」
同級生の豊田も文一から文二に妥協しました。
誰しも浪人は辛かったのでしょう。
結局みんな受かりましたので、
妥協したのは正解だったかもしれません。
私は理一に受かってやれやれだったのですが、
妙なめぐりあわせで慶応に行くことになってしまいました。
今となっては医者になったことは後悔していませんが、
同級生の吉村に、
「試験慣れに慶応の医学部受けてみようぜ」と言われなかったら、
多分受けていなかったことを考えると、
これも運命かもしれません。
吉村は理一から日産に入り、
年賀状をもらいましたが、
「俺の作った欠陥車で怪我をした人を、お前がとどめをさすのが目に浮かぶようだ」
などと悪い冗談を書いてきておりました。
新宿御苑のお花の写真です。
きれいですね