小学1年生の夏休み、
父は私を山梨の実家に連れて行きました。
空がスモッグで汚れていた東京から列車に乗ると、
見たこともないきれいな空があることを知りました。
この汚かった東京の空、
美濃部都知事のときにすっかりきれいになりました。
東京からギャンブルをなくし、
公害を激減させました。
石原慎太郎はお亡くなりになりましたが、
美濃部都知事と激しい都知事選を繰り広げました。
このころが石原慎太郎のピークだったと思います。
人気と言う点では石原慎太郎の方がはるかにあったのに、
都知事選で彼が勝つと思っていた人はあまりいませんでした。
傲慢な態度と、
いい加減な選挙運動が彼の敗因でした。
当時よく言われました。
「石原が、石原でなかったら勝てたのに」
意味がお分かりになるでしょうか。
人間性に問題があったと言っていたのです。
ともあれ美濃部都知事になってよかったこともたくさんありましたが、
悪くなったこともたくさんありました。
美濃部は東京の交通整備にストップをかけてしまいました。
東京を田舎に戻そうとしたのでしょうか。
それが現在まで東京の慢性的な交通渋滞につながっています。🚚
美濃部の前に作られた環七と、
美濃部になってから作った環八、
走り比べてみてください。
環八の走りにくさは人間の限界を超えています。
結局誰が都知事になったってダメだってことですよ。
おやおや都知事なんてどうでもよいのでした。
列車が甲府に着きました。🚞
ここで降りて父の実家までバスで行きました。
甲府の駅前に水晶の噴水がありました。🔮
噴水を飾っていたのはすべて水晶だということでした。
山梨という県は本当に何もないところだったようです。
水晶さえも名産にしようとしていたのでした。
この噴水の水晶が本物かどうかよく噂になったようです。
父に言わせると、
「あのケチな山梨の人間が本物を置くわけがないじゃないか」
と言っていました。
あらあらお父様、
あなたも山梨の人間じゃありませんか。
甲府の駅前からバスで1時間、
そしてそこからさらに30分歩いて父の実家に着きました。
大きな家でした。🏘️
田舎の家はだいたいが大きいのですが、
父の実家の大きさは常識を逸脱していました。
父から数えて5代前に地主となり、
4代前にもっとも栄えてその本家の家を建てたとのことでした。
親子3代続かずのとおり、
3代前に没落したようです。
その家と、
わずかばかりの果樹園を残して、
あとは全部取り上げられてしまったそうでした。
父の祖父の代からはただの貧しい農家だったそうです。🧑🌾
そのとき、
父の兄夫婦、
私の祖父、
私のいとこの美和子がいました。👧
美和子と私は同じ年でした。
初めての田舎でしたが、
こんな何もないところでどうやって暮らしているんだろうと不思議でした。
正直言って、
田舎の人たちは実にのんびりした顔をしていました。👵
そのくせ、
人の顔を穴が開くほどじっと見ていました。👀
あれだけ露骨にガンを飛ばされると、
怒る気にもなりませんでした。
あとで美和子に、
「何でここらの奴らは俺の顔をじろじろ見るんだよ」
「よそから来た人が珍しいのよ」
なんだか変なところに来ちゃったなあ。
早く帰りてえやと思いました。
お花の写真です。
お花はいいね