私も多少は、残りの時間を考えるようになってきました。
病気をしなかったと仮定しましても、
体がいうことを聞くのはあと数年ぐらいでしょう。
誰に聞きましても70才を過ぎるとどうもいけないようです。
80才は終点ですので、
このころに癌にでもなってくれれば理想ですが、
うっかり80才を超えて生き延びてしまいますとえらいことになります。
私は何としても、
自分の寿命は自分で決めてしまおうと思っています。
自殺しなくたって、
苦しい思いをしないで人生にピリオドを打つ方法はいくらでもあります。
どこで人生に終止符を打つかは70才を超えてからその時の状況で決めようと思っていますが、
80才を超えてはならないと考えています。🙅♂️
今のお年寄りに聞きましても、
江戸時代の杉田玄白の本を読みましても、
70才であの世に行ってればよかったと言っています。
杉田玄白<1733年〜1817年>は江戸時代の蘭学者(オランダ医学を長崎で学んだ医者)で、
『ターヘル・アナトミア』を日本語に訳した『解体新書』が有名です。📘
辞書もスマホも、PCも無かったこの時代に、
オランダ語を翻訳した苦労は想像を絶するものがあったと思われます。
杉田玄白は青年期には医学の勉強を始め、
西玄哲から医学を学びました。
1754年には山脇東洋が、
処刑された罪人の腑分け(解剖)を行い、
これが蘭書の正確性を証明し、
杉田玄白が五臓六腑説に疑問を抱くきっかけになりました。
「五臓」とは昔の中国医学で人の内臓全体を表すために用いられた言葉です。
「五臓」は、肝臓、心臓、脾臓、肺、腎臓を指します。
「六腑」とは、胆嚢、小腸、胃、大腸、膀胱、三焦(背骨)を指します。
もちろん、現代医学における解剖学の知見とは異なっています。
杉田玄白は1757年に日本橋で町医者として開業しました。🥼
1771年、杉田玄白自身の回想録『蘭学事始』によれば、
中川淳庵がオランダ商館院から借りた『ターヘル・アナトミア』を持って杉田玄白のもとを訪れました。📙
杉田玄白はオランダ語は読めませんでしたが、
精密な解剖図に驚き、
この本を購入しました。
長崎から同じ医学書を持ち帰った、
前野良沢や中川淳庵らと共に、
「千住骨ケ原」(現・東京都荒川区)で死体の腑分け(解剖)をし、
『ターヘル・アナトミア』の解剖図の正確さに感嘆しました。
彼らは、『ターヘル・アナトミア』を日本語に翻訳し、
1774年に『解体新書』として刊行しました。📗
晩年には回想録として『蘭学事始』を執筆し、
のちに福沢諭吉によって発刊されました。
1807年には隠居し、
1817年83歳で亡くなっています。
私は、
残された時間で楽しいことは何でもやっておこうと思っています。
私にとって楽しいこととは、
人と自然とのかかわりが大部分です。
とくに、
どんなことであれ一生懸命にやっている人をみるのが好きです。
スポーツであれ、芸術であれ、勉強であれ、
自分を極めようとしている人に強く惹かれます。
先日、
学生の全国絵画展の優秀作品を見て来ました。🖼️
美術館で見る絵よりも感動的でした。
学生の真剣さが作品に表れていました。
絵の場合は、
芸術性を表現するのはたいへん難しいだろうと思います。
私も絵を描きますが、
その困難さは想像を絶するものがあります。
絵画がどれほどたいへんかは、
ご自身で描かれてみるとよく分かると思います。
上手な絵を見ることはたくさんありますが、
芸術的、つまり枠組みを超越した作品に出会うことはまずありません。
ルノワールがいい例でしょうか。
芸術は、
いいと思う人がそう思っていればいいのです。
ピエール=オーギュスト・ルノワールの「帽子の女」です。
ルノワールはとにかく若い女性の絵を描くのが好きだったそうです。
「もし、女の乳房と尻が無かったら、私は絵を描かなかったかもしれない」
という言葉を残しています。
これって、ただのすけべではないのかな