私が初めて身内の死に出会ったのは、
小学2年生のときの祖父が死んだときでした。
祖父の葬式に、
山梨まで連れて行かれました。⚰️
冬の寒い日でした。
生きていたときの祖父を、
一度しか見たことがありませんでしたので、
悲しいと言う感覚はありませんでしたが、
死んだ人を見たのは初めてでした。
怖いというよりも、
無表情であることに、
気味の悪さを感じました。
父の表情には、
悲しみの色はなかったように思いました。👨
ただ、
黙々と葬儀を儀式としてこなしていたようです。
百姓をやらずに勝手に東京の大学へ行くは、
祖父の勧めた相手を無視して母と結婚するはで、
祖父から見れば誠にもって親不孝な父だったのかもしれませんでした。
次に身内の死に出会ったのは、
中学2年の時、
3番目の兄のときでした。👨🦲
お世辞にもいい兄貴ではありませんでしたが、
26才で死にましたので愕然としました。
悲しかったのですが、
もともと仲のいい兄ではなかったので、
直(じき)に忘れてしまいました。
私の心の支えだった、
父と長男が高校3年生のときに亡くなりました。
いちばん失いたくなかった人を、
ふたりも失ってしまいました。
この時、
初めて心の苦しみを嫌というほど味わされてしまいました。
丁度、
大学受験とぶつかってしまったのが不運でした。
苦しみと闘いながらの大学受験は、
連打を受けながら立ち続けるボクサーのような心境でした。
この苦しさを経験してしまったので、
どうでもいいことで悩んでいる人を見ても、
あまり同情できなくなってしまいました。
ただ、
当人にとっては大きな悩み事でしょうから、
できるだけ誠意をもって相談には乗ります。
悩みの大きさは人それぞれでしょうから。
つまらないことで悩んでるなあ、
なんて絶対に言いません。
母の死に直面したのは、
私が33才の時でした。👵
医者として、
母の死期が近いことを感じていましたので、
取り乱すことはありませんでしたが、
ただただ悲しくなりました。
いくら泣いても、
涙が止まりませんでした。
優しかった母の思い出のせいでもありましょうが、
年齢的に悲しむ余裕があったとも言えます。
人の死は絶対に避けて通れないものですが、
やはり家族の死は非常に辛いものがあります。
お花の写真です。
お花がきれいなのは虫を惹きつけるためですが、
実は、
蜂やチョウチョウは色の区別はつかないのです。
紫外線しか見えていないそうです