昨日、

 

YCVの「Video on Demand」 で

 

『白い巨塔』を見ました。ニコニコ

 

4日以内であれば、

 

300円くらいで何回でも見ることができます。ウインク

 

時代背景は違いますが、

 

日本映画全盛の時代でしたので

 

その質の高さに感動しました。ニコニコ

 

現代であれば、

 

オペの生々しいシーンは

 

絶対に見ることはできませんが、

 

この映画では

 

オペのシーンが鮮明に描写されていました。びっくり

 

そう言っては申し訳ありませんが、

 

実に下手くそなオペでありました。ショボーン

 

まあ、

 

素人の方が見ますので、

 

それはそれでいいのかも知れません。

 

私が、

 

あんなオペをやっていたら

 

絶対にクビになっていただろうな。えーん

 

で、

 

映画『白い巨塔』ですが、

 

1966年(昭和41年)10月15日に

 

公開されています。

 

大映製作で、

 

監督は山本薩夫、

 

主演は田宮二郎です。

 

原作は山崎豊子さんです。

 

医学界の内部を描いた

 

山崎豊子さんの同名小説の

 

映画化作品です。

 

<ストーリー>

 

浪速大学医学部第一外科の助教授(現在なら准教授)

 

の財前五郎は、

 

次期教授の座を狙い

 

野心を燃やしていました。

 

自信満々で不遜な態度は

 

反感を買うことも多かったのですが、

 

外科医としての実力は

 

確かなものでした。

 

とくに食道外科のオペの腕は見事でした。

 

女手ひとつで育ててくれた

 

岡山の母のためにも必ず教授になると

 

財前五郎は胸に誓っており、

 

婿入りした財前産婦人科の財前又一が

 

それを後押ししようとしていました。

 

教授戦の決戦投票が始まりましたが、

 

財前五郎が食道がんのオペをした

 

佐々木庸平が

 

肺炎のため息を引き取りました。

 

決選投票では、

 

2票の差で財前五郎が

 

第一外科の教授に選出されました。

 

東教授は定年を待たずに退官し、

 

財前五郎が教授の座につきました。

 

財前五郎は順風満帆に思えましたが、

 

死亡した佐々木庸平の遺族が、

 

財前五郎の診断は誤診だった

 

と訴えを起こしました。

 

財前五郎は強硬な態度で

 

誤診はしていないと断言し、

 

裁判で徹底的に戦う構えでした。

 

柳原医局員が良心の呵責に苛まれながらも、

 

財前五郎に誤診はなかったと証言し、

 

裁判は財前側が優勢となりました。

 

しかし、

 

東教授が東都大学の船尾教授を

 

鑑定人として出廷させました。

 

船尾教授の出廷は

 

財前五郎に不利になると思われましたが、

 

医学界全体の権威と信用を守りたい

 

船尾教授は

 

財前五郎を予想に反して擁護いたしました。

 

(このシーンがこの映画最大の山場ですびっくりマーク

 

船尾教授は、

 

財前五郎の傲慢さを厳しく叱責し、

 

今後、

 

医師として謙虚であることを

 

強く求めました。プンプン

 

結局、

 

原告側の請求は全面的に棄却され、

 

財前五郎は無罪となりました。

 

一方、

 

真実を語った里見助教授は、

 

財前五郎に不利な証言をしたということで

 

鵜飼教授から

 

山陰大学医学部の教授

 

を勧められましたが、

 

何の研究設備もなく、

 

研究者としては

 

死を意味する山陰大学教授の推薦を断り、

 

辞表を提出して

 

浪速大学医学部を去っていきました。ショボーン

 

***

 

山崎豊子さんとしては

 

勧善懲悪には全く興味はなく、

 

ただ単に

 

医学会の実態を描きたかったそうです。

 

でもね、

 

実際の医学部は全然違うよてへぺろ

 

 

 

 

 

イルカイルカイルカ

 

 

 

 

クリスマス直前のマカオです。

 

ホテルは、

 

確か・・・?

 

忘れたてへぺろ