ちわ看板持ち

今回は前回の続きという感じではないかもだけど

とりあえず書くぜ。




 ​良い点数にも怒る母親



前から何度も話してるけど、私の母親は情緒不安定だった。

まぁ大人になった今ならね、

"母親は自分で自分の機嫌をとることができない幼稚な人"だと思って距離を置く事ができる。

けど、子供の時にはそんな風には思えない訳で。。




小学5年生の時だったかな。

テストで良い点とって帰ったの。98点と100点と99点の3枚。

すごく嬉しくて、そのテストをどうしても見て欲しくて

母親のすぐ目につくところに置いておいた。


3教科でこんなに良い点数とれたんだもん!
きっとすごく褒めてもらえる!

と思って、ワクワクしながら母の反応を待ってたんだけど

一向に話しかけてこない。。


おっかしいなぁ〜あんなにわかりやすい所に置いたのに変だなぁ〜と思って

夜ご飯を準備してるお母さんのところに行って

「テスト見た?これほぼ全部100点だよ!3教科だよ!」ってニコニコして話しかけたら

「自慢すんな!!
自慢するやつは皆から嫌われるんだよ!」とキレられた。


いきなり怒られて訳わからなかったし、すごいショックだった。

これは自慢なのか…私って嫌なやつなのか…って、1人で膝抱えてボロボロ泣いた。

この時の怒った親の顔も、悲しかった気持ちも、今でも鮮明に思い出せる。



こういう理不尽な事が、小さい頃から山程あった。


でも当時はまだ子供。

理不尽だと思ったことは一度もなくて、

親が怒るのは自分が悪いからだと本気で思ってた。

だから怒られるたびに、自分のこと責めた。

そしてその度に、

もっといい子にならないといけない、そしたらきっと怒られなくなる

って言い聞かせてた。






中学3年生で進路を決める頃、

「高校の資格も取れる准看護師の学校ってどうなんだろう」とか

「定時制の高校とかどうなのかな」って

ちらっと母親に話したことがあった。


その頃丁度学校で、私に対してのいじめがあって、人間関係にすごく疲れてた。

そもそもが、中学に入ってから学校生活が苦痛だった。

小学生の頃は楽しかったのに、中学になってから陰湿な人が増えて、うんざりしてたから。


だから、私のことを誰も知らない学校に進学したかった。


北海道の田舎に住んでたから、どこの高校に進学しても必ず同じ中学の人がいる。

でも、准看護師の高校とか定時制なら、大体の人が選ばないマイナーな道だから、

同じ中学の人もそうそう居ない。

誰も私のこと知らなくて、そして私もみんなのこと知らない。

そんなところに行きたかった。

私なりの逃げ道だった。



けど母親には、頭ごなしに否定された。

理由も聞かずに、

は!?なんで!?馬鹿じゃないの!って。


私が選んだ道を必ず応援しろ!という訳じゃなくて

どうしてそういう選択をしたくなったのか、親身になって聞いくれるだけでもよかった。




こういう風な出来事もたくさん重なっていって、

辛くても我慢!
弱音は吐かない!
相談してはいけない!

という価値観が作られていった。

心穏やかで、何でも包み込んでくれる優しさなんて、私の母には皆無だった。





拒食症から回復して行く過程で、私はまた"良い子"になった。



"親の為に早く病気を克服しなきゃ!"って。


そう言い聞かせながら頑張るようになってた。




けど、病気を克服して行く過程で気付いたの。




"そもそもこの両親じゃなければ

この病気になってなかったんじゃないか"ってことに。



それに気付いた時、良い子を手放す勇気が持てた。



もういい、親に嫌われて良いや!って。


摂食障害は、ながーーーーーーい反抗期の始まりだった。

そしてこの反抗期も、摂食障害には必要不可欠だったと思う。



つづく


/ 僕もうひとりで絵本読めるんだ! \



僕ちゃん絵本逆だよー泣き笑いキューンキューンキューンキューン



またねん


ゆり