9月11日の早朝、大好きなじいちゃんが亡くなりました。
母方の祖父で、88歳でした。
定年退職後は、趣味のゴルフや温泉に行ったり、
大好きなお酒を毎晩飲んでは、ニコニコしながら色んな話をしてくれたり
毎年運動会の時期は、6時間も運転して私達の活躍を応援しに来てくれたりと、
優しくてパワフルなじいちゃんでした。
元々2ヶ月前くらいからすごく弱ってきてて、ご飯も全然食べられなくなってたの。
段々と立てなくなって、歩くのもままならなくなって、
トイレに行く途中で倒れてしまった時は、ばあちゃんの力じゃ起こす事もできなくて、救急車を呼んだりもしてて…
母親からその話を聞くたびに、じいちゃんはもう長くないかもしれないと覚悟をしてた。
でね、私の勘?胸騒ぎ?なのかわからないけど、亡くなる数日前からずっと、9月10日の日曜日が怪しく感じていて
母や姉や旦那に、日曜日がなんだか怪しく感じることを伝えてた。
母には「そんな早く無いと思うわ〜まだ大丈夫よ〜」なんて言われて流されてたけど、
もし何か起こった時はすぐ行ける様に、日曜あたりの飛行機を何度も確認してた。
案の定、10日の23時頃にお母さんからラインが来て、「じいちゃんがすごく苦しそうだからばあちゃんが救急車呼んだみたい」と。
たぶんその時点で、すでに下顎呼吸をしてたんだと思う。
(下顎呼吸とは、下顎を上下させ、口をぱくぱくさせてあえぐような呼吸で、死期が近づいてる徴候のひとつとされている。
人間が死亡する際の自然的過程と捉え、過度に苦しい訳ではないと思った方が良いそうです。)
そして数時間後に「じいちゃん亡くなったよ」とお母さんから再度ラインが。
11日の早朝2時半頃、息を引き取ったらしい。
お母さんからのラインを確認した直後、12日の早朝便の飛行機をとって、北海道へ。
12日の夜にお通夜、次の日に告別式。旦那とるいくんと3人で出席してきたよ。
じいちゃんが亡くなったのはものすごく悲しかったけど、
じいちゃんのおかげで、何十年ぶりに会えた人がたくさんいて、懐かしさ溢れる賑やかな時間を過ごすことが出来たよ。
お通夜の夜には親戚みんなで雑魚寝したり
次の日はお姉ちゃん家族とみんなでビジホ泊まったりして
弾丸の北海道だったけど、すごく密度の濃い3日間を過ごせた。
やっと、甥や姪にるいくんを会わせる事もできたし、
こんな機会を与えてくれたじいちゃんに、ほんとうにありがとうって感じだった。
そんなじいちゃんの、ちょこっと不思議なお話。
じいちゃんの家の庭の木には、何年も前から鳥小屋が数個置いてあるの。
物作りが得意なじいちゃんが、庭に来るすずめ達の為に手作りしたものなんだけど
じいちゃんがまだ元気だった頃は、毎朝その小屋の中にりんごを入れてあげるのが日課になってた。
すずめが見つけやすい様に、小屋の近くにある高さの低い木の枝にも、小さくしたりんごを刺したりしてた。
じいちゃんの家の居間の大きな窓から、庭のその小屋が見えるんだけど
「あっちの小屋、さっきすずめが入ってたんだぞー。
でもあっちの小屋は最近全然入らないんだよなぁ。」なんて教えてくれたりもした。
時には、小屋の中に巣を作って、北海道の寒い冬を越すすずめがいた年もあったみたいだし、
雛が産まれた年なんかもあったみたい。
そんな動物好きで優しいじいちゃん。
亡くなった日の朝、じいちゃんの家の屋根の上に、大量のすずめがとまってたらしい。
しかも、庭側の屋根ではなくて、少し庭から離れたところにある、じいちゃんの寝室の屋根の上にびっしりと。
すずめ達が感謝を伝えにきたのかな?
もしくはじいちゃんが空で迷わないように迎えにきてくれたのかな?
なんて色々考えて、涙が出そうになったよ
じいちゃんが亡くなった日から屋根に咲き始めた葉っぱ🌱
すずめが種を持ってきたんじゃないかって家族みんなで噂してるところ。
じいちゃん、亡くなる数日前にふと「幸せだったな〜」ってばあちゃんに呟いたらしい。
そして亡くなる直前には、はっきりとばあちゃんに「ありがとう」と。
岩手のど田舎生まれで、戦争も経験してて、中卒で、お酒を飲むとよく世の中の理不尽さを愚痴ってたじいちゃん。
きっと、色んなことがあったんだろうな…
良いことだけじゃなく、辛いこともたくさん経験してきたんだろうな…
なんて思いながら、酔っ払ってるじいちゃんの愚痴を聞いてきたけど
よかった、じいちゃん幸せだったんだ。
天国でも、大好きなお酒飲んでニコニコしながら、
私たちの事見守ってくれてくれてたら嬉しいな。
ゆり