あーー、ブログ久しぶりになりすぎました

 

My historyを楽しみにしてくださっている方がひとりひとりと増えているみたいで嬉しすぎる!


思い出すのにパワーをめちゃ使いそうで避けていたけど、

人生の大きな山場だった

この時代の恋愛を書いてみようと思います




 

仕事面でリア充ライフのビッグウェーブを乗りこなしていた私ですが

恋愛でも負けず劣らずでした!

 

仕事も恋愛もプライベートも

私に欠けているものは何も無いくらいに

無双状態だった

 

その頃付き合っていた彼は

2歳年上で

「優しい」を絵に描いたような人でした

 

過去にあった辛いことや苦しかったこと悲しみや我慢してきたことを

優しさに変えていた人

 

私のすることや話すことをいつも褒めてくれて

たくさん笑ってくれた


一緒にいる時も会えない時も

心は満タンに満たされていたし


同じ歩幅で歩くのも、ちょっと手を引っ張ってくれるのも、そっと背中を押してくれるのも

絶妙にうまい人だった

 

思いっきり笑うのを恥ずかしそうにする人

いつも穏やかで、辛さをちゃんと経験してきてる強さがあった

 

2年ほどお付き合いが続き

意識せずとも二人で「結婚」への準備のような生活に変わっていった

 

その頃には神戸の六甲道で一緒に暮らしていて

満を辞して彼の両親にもご挨拶へ行きました

(彼の中で、結婚すると決めた人じゃないと両親に会わせないと決めていたと言ってた)

 

無事にご挨拶もうまくいったと二人で安心していたのも束の間で・・

 

ゼクシーなんかも買っちゃったりして結婚に向けて進んでいくものだと

私も彼もほんわりした空気感をまといながら

六甲道の街で二人で生活していくものだと思っていたのに・・・

 

二人の気持ちだけではどうにもならないことがあると知った

 

それは若さ故に抗えなかったのか

 

いつも感じていた彼の優しさに隠れていたもの

 

彼のその時の若さでは、私への気持ちだけでは越えていけなかった

 

自信、経済力、運命、継承

 

生きた分だけの呪縛があるというなら

もうあの優しさだけで許してあげて欲しかった

 

 

そう、私たちの結婚は彼の両親の反対にあい

彼の「家柄」の「長男」という呪縛に、私は不合格を押されてしまったのでした

 

彼を自由にしてあげたかった

あの優しい人を恥ずかしがらずに笑う人にしてあげたかった

 

そんな彼を責めないし

彼の両親を責めるのも違う気がした

 

ただ、私たちは「夫婦」にはなれない運命だっただけ

 

結婚はダメになったけど、気持ちが続くうちは付き合っていたらいいと二人で話したのに

彼の優しさがもう私に対する罪悪感や負い目に変わっていくのを見ていられなかった

 

「大好きやけど、もう辛い」

 

そんな言葉を彼に言わせてしまう日が来てしまって

 

「うん、もういいよ」

 

って、後ろから抱きついたのが彼との終わりになった

 

改札口で目頭を押さえて嗚咽する彼に

笑顔で手を振って「最後の私」を見ててもらった

 

この電車で私は、帰らないと思っていた滋賀に帰ることになった

 

駅のホームで肩を震わせて泣く私に

知らないおじさんが「お嬢ちゃん、大丈夫か」と声をかけてくれたことで

もう膝から崩れ落ちて、涙が止まらなかった

 

何本電車を見送ったのか覚えてないけど。。


六甲道から滋賀まで電車に揺られる時間が長くて良かったと思った

 

 

 

 

別れた後の数ヶ月後の私の誕生日に

私が欲しがっていたサンダルが送られてきたんだけど

特にメッセージなどの言葉はなかったし

 

残ってる気持ちと罪悪感なんだと

何も言わずに受け取っておいた

 

これは「優しさ」ではないよ、って教えてあげたかったけど

 



ちなみに、この後もまだまだ旦那とは出会いません(笑)