あ、この記事を見つけてしまいましたね?

ありがとうございます。


この記事は、まるで港の防波堤に並ぶテトラポッドの隙間に暮らすカニのように、またはあなたが暮らす街の道端に転がる空き缶や石ころのように、そこに存在するのに決して誰にも目に止まることもなく、ただひっそりと在るだけの記事ですが、せっかくみにきて下さったのですから、少しだけお話をしましょう。


「私は誰にもできることはできないが、誰にもできないことができる」


私はずっと自分の存在に悩み苦しんでいました。

日本の社会では、個人の効率よりチーム全体の連携やコミュニティ、協調性が大事とされ、その考え方はあらゆる仕事や生活の場面で見受けられます。

ただ、私にはその協調性が人より至らず、10代の頃はそれでも子供だから仕方ないと私も周囲も大した気にもせず過ごしました。

しかし、それが20代、30代、40代と重なっていけば仕方ないでは済まない問題になってきます。

それは、私が協調性がないというより、そもそも周りが見えていないという仮説でした。

事実、私は一つの作業を始めてしまえば周りが見えなくなり、特に他人の声などは聞こえてはいるのですが、全く頭に入らず、結果として何を話されたか覚えていないのです。

つまり、手を動かし始めたら、その途中で生産数の変更の指示が出たとしても私には聞こえておらず、またいったん作業を止めて話を聞いてからまた作業を始めても、いつのまにか忘れていて当初の生産数を製造してしまうのです。


このことはかなり長く私を苦しめました。

また、会社の会議などでは私は10分と経たずに寝てしまいます。

作業中はそんなこと決してないのに、会議やミーティングでの長く聞いているだけの場面では、決まって私は眠くなり、寝てしまうのです。


要するに私は理解し過ぎてしまう性質で、これは生まれつきなのだそうです。

理解し過ぎるから人の話の要点をつかむのが早過ぎ、しかも人の声がスローに聞こえるからまるで子守唄のように脳は理解してしまうのです。


でも、これはいわゆる"発達障害"であり、病気などではないのです。

生まれつき肌が白かったり目が青かったりオッドアイだったりするように、これも生まれつきなのですから、例えば生まれつき手がない人に手作業をしろと言われても出来るはずがなく、たとえ出来たとしても人よりずっと長く、ずっと苦しい時間がかかるのです。

このことに理解がない人は、自分と同じように5体満足なんだから私や周りの人と同じように作業ができるはずと同じ教え方や教育をします。


同じ見た目だから同じだなんて思わないでほしい。

普通を強要される社会は、私には苦痛なだけでした。


でも私は言えます。

私と同じように人から裏切られて周囲から変わった人扱いの目で見られ、それでも本当に私を救いたいと願うならその今の生活、財産、名誉全てを捨ててまで私に会いに来る覚悟はありますかと。