それから私たちは学校の中でも放課後でも、だいたいみんな一緒につるんで過ごしました。

やがて2年生も終わり、春休みに入りましたが私たちは相変わらず春休み中にも学校の体育館で部活に励んでいました。

この時には私たちにとっての部活はライフスタイルのようなものになってました。それぞれが過ごすプライベートの時間より、みんながこうして集まってバレーボールをしている方がずっと楽しい時間となっていき、時間さえあればみんな集まってバレーボールをしていました。

そして私は3年生になり、新しく入部したいという部員が数名やってきて、いよいよ部活も本格的なものになっていきました。

月に1〜2回、どうしても学校の体育館が使えない日は、顧問やマネージャーのレナさんが公共の体育館を借りてくれたり、または陸上部のスペースを一部お借りして陸上部の部員たちと一緒に筋トレしたり、とにかく私たちは時間が許すだけ部活に打ち込んでいきました。

そして6月には、私にとっては2回目となる地区総体が始まりました。

地区総体はあまり大きな大会ではなかったものの、同じ学年のクラスメイトたちが応援に駆けつけてくれました。

この時の地区総体でバレーボールをやっている学校は2校しかなく、私たちは2回勝てば優勝でした。

そして初戦、私は去年のリベンジというのもあり、緊張はなく、ただ日々の練習の成果を出し切って勝ちたいという気持ちを持って臨みました。

私たちは序盤から練習通りにボール下に入り込み、そしてスパイクまで繋ぐ形ができ、第1試合は終わってみれば2-0の圧勝でした。

そして続く第2試合(決勝戦)。第1ラウンドは25-10の圧勝で、第2ラウンドからコーチは後列の入れ替えをしました。

新しくコートに入ったのは、この年入部してきて私たちの練習にずっと食らいついてきた新人の後輩でした。

この後輩は、普段は13時から17時まで授業で、朝7時からお昼の12時まで週に4日バイトをやっていたのですが、それ以外の時間はほぼ部活に打ち込み、時には体育館を使わない日などは私たちと一緒に夜21時までバレーボールをしたり、土日も朝から夕方まで一緒に頑張ってました。

土日の部活は、学校のルールで参加は強制ではなく、任意で途中で帰るのが許されてますが、彼は私たちが終わるまでずっと練習をしていました。

試合が始まると、後輩は緊張しているからか、うまくボールを拾えず落としたりサーブもネットに引っかかったりとミスが目立ちました。

そこでコーチは一旦テクニカルタイムアウトを取り、彼にアドバイスをしました。

そして私からも彼にちゃんとやらなければという変な気負いはいらない。上手くいかなくてもちゃんとみんなでフォローするから、肩の力を抜いていったん落ち着いて、みんなを信じてくれとアドバイスをしました。

そして再開した試合。

相手サーブは明らかに後輩を狙っていました。

後輩は必死になってボールに食らいついてボールを上げました。それをセッターの私がフォローをし、アタッカーに繋いで相手コートに渾身のスパイクを打ち込みました。

相手はそのスパイクに反応できず、ここでサーブ権はこちらに移ります。

そこから相手のミスを誘って一気に4点を連続で奪い、相手チームはテクニカルタイムアウトを取りました。

私たちは、向こうが後輩を狙ってくるのなら絶対にサーブ権は渡さないとの思いで団結し、残り10点取れば優勝の試合に臨みました。

そしてそのままサーブ権を奪われることもなく、私たちは決勝戦も2-0で勝つことができ、高校での初優勝にみんな歓喜して表彰式に並びました。


まだまだ続きます