人生には、いくつかの選択肢があると言われているが、私にとってはそのような選択肢はなかったように思います。

もし、中学の頃に好きだったあの子に告白していればとか、もし高校を周りが勧めるように工業系や農業系の高校に進学していれば、もし大学を妥協してでも進学していれば、もし就職先を土木系の道に進んで重機やその資格を勉強していれば、とか今でも自問したりします。

でも、私は他人にできることが自分にはできないなんて認めたくはありませんでしたから、小さい頃から私は他人と比べられたくはなかったし、だからこそ私は私が決めた道を突き進みたかったのです。

周りには、なぜ第一志望が定時制なのと疑問を投げかける人もいました。

私は勉強が嫌いでしたし、私が通った定時制は最短で午前中で授業が終わるため、午後からいろいろやってみたかったのです。

それに、まだ何も見えていない将来のためにやりたくもない勉強に今の時間を必要以上に使いたくはありませんでしたから、とにかくその時の私にとって何のメリットも感じられない勉強はどうしてもやりたくなかったのです。

高校卒業後は、就職難の時世もあって私は就職先が見つからず、地元展開のスーパーでアルバイトをする日々を送りました。

しかし、上司の指示する内容やその意図が分からず、よく必要以上に詰めすぎたりやり忘れたりとミスをしました。

そのため、私はよく店内の部門をあちこち飛ばされたり、退職してまた違うお店に働き出したりしました。

それでもこの業界を離れなかったのは、何より他人にできることができない自分が悔しくて、それができるようになりたい一心だったからでした。

そうしていくつか転々としたお店で、最後に私がここで長続きしなかったらもう辞めようと決めたお店で私は必死になって覚えようとしました。

そして入社した日に渡される、普通であれば1〜2年でマスターするラーニングスキルを、私は5年かけてほぼ全て習得しました。

それから14年が経ちました。

私はその後退職し、今は家族が立ち上げる新規の事業のためプレスや屋内クレーン、アークやTIGなどのガス溶接の資格も習得し、会社PRやその事業内容を紹介するための求人向けの動画制作を勉強するため、日々パソコンとにらめっこをしてます。

これは、農機のメンテナンスやシステムの改善や効率化のためエンジニアとして会社を支えたいという私自身の目標のためであり、形は違うけれど、機械をいじってみたい、パソコンをいじってみたいというあの頃のたらればな私を捨てられなかった時間が今やっと歩き始めたんだと感じます。

そして手をぼろぼろにしながらも身につけた食材の加工技術と、泣きべそをかきながら必死になって習得した溶接技術、また新たに身につけようとしている映像技術を持ってこれから生まれる新事業を支え、私は私が描く私だけのワガママな未来を歩いていくのです。