3月は卒業のシーズン。

私はこの時期になると中学の頃を思い出します。


私の中学生時代は、ごく平凡なものでした。

普通に学校に通い、普通に部活して、土日は普通に遊んで過ごしてました。

とはいえ、中学の私の成績は散々なもので、3者面談の時などは担任から、このままでは通える高校はないなどと言われるほどでした。

テストはいつもどれも30点未満。5教科合計で100点行けばいいようなもので、宿題など全くやらないで登校するなど当たり前のことでしたが、私は自分でそれが悪いこととは微塵も思っていませんでした。

とはいえ、別に問題行動を起こしているわけでもありませんでしたし、一昔前のヤンチャな学校ドラマにあるような、授業を抜け出してどこかに遊びに行くなんてこともなく、ただ真面目に授業を受けているつもりでした。

しかし、根っから勉強やスポーツが好きではなかったため、学校で勉強する以外には絶対にやりたくなかったですし、部活もプライベートの時間を削ってまで筋トレや練習などしたくなかったものですから、部活でも3年間やっててレギュラーなど取ったことなどなく、レギュラーにもなれないのになぜずっと在籍していたのかと言われたら、私自身よくわかりませんでした。ただ、親や周りに心配とかかけたくなかっただけだったのかもしれません。

しかし、そんな中学生活も3年目の夏休みあたりから変わっていきました。

受験のため、3年生は部活を引退し、じゅぎは受験対策のためにますますピッチを上げて進み、受験モードでまわりはピリピリし始めて、私はただでさえついていけなかった勉強にますます遅れだし、また、部活を引退したことでこれまで張っていた緊張の糸のようなものがぷっつりと切れたような感覚がして、まるで全てが上の空でした。

そして私は学校に自分の居場所を失った感覚がして、引きこもりました。

別にイジメにあったとか先生から体罰があったとかそういったのではなく、むしろ周りのクラスメイトたちは勉強が遅れがちな私に休憩時間などは親切に教えてくれたり、担任の先生や学年主任などは私の進路を本気で心配してくださり、なんとか今の成績でも進学できる高校はないかと昼休みや残業の合間に探してくれていたりしました。

しかし、そうとは知りつつも周りに迷惑をかけていることや勉強がますますわからなくなっていく自分に嫌気がさし、私は自己嫌悪に陥ってしまって自分を見限ってしまったのでした。

しかし、こんな私を本気で心配する両親にすら本当のことが言えず、私は体調が悪い、風邪を引いたなどと仮病で偽り、部屋に閉じこもりました。

ただ、時折近所にする幼馴染のクラスメイトたちが配布物などをわざわざ家に届けてくれたりしました。

しかし、私は彼らと合わせる顔などなく、玄関先で彼らと親が話す声をじっと自室で聞いたりしていました。

ですが、最初こそ4、5人で配布物などを届けに来てくれていたクラスメイトもだんだんと人数が減り、2ヶ月くらいした頃には女の子が1人で届けに来るだけになりました。

ただ、その子は雪が降る寒いなか毎回届けてくれましたから、毎回うちの親が彼女にわざわざごめんなさいねと頭を下げて謝ってました。

それでも彼女は、私くんがまた元気になって登校してくれたらいいなと思いますし、私が勝手にやってることですから気にしないでくださいと頭を下げて帰っていくのでした。

またある日には学校給食で出たおにぎりをわざわざ届けに来てくれて、これを私くんに食べさせてあげてくださいと親に頼んでいったりもしました。


そして引きこもり続けた3年生時代に終わりを告げる卒業の日が来ました。

いくら引きこもり続けたとはいえ、さすがに卒業式には欠席するわけにもいかず、ほぼ半年以上来てなかった学ランに腕を通し、私は不安と緊張を抱いて学校に向かいました。

私が卒業式に出席するとなると、私と同じ学年の双子の兄が付き添い、みんなに迷惑をかけてしまった私をみんなは迎えてくれるだろうかと不安になる私を大丈夫だよと兄は励ましてくれました。

そして私のクラスの前まで付き添ってくれた兄は、最後くらいしっかりやれよと言って自分のクラスに行きました。

私は、緊張でバクバクする胸を手で押さえ、大丈夫と自分に言い聞かせてクラスの戸を開けました。


私が戸を開けた瞬間、クラスメイトたちは一斉に私の方を向き、一気に歓声が上がりました。

満面の笑みで私にかけてくる人、その場で飛び上がり、机の上で飛び跳ねる人、感極まって泣いている人、そんなクラスメイトの1人が私の手を取り、席にエスコートしてくれました。

そしてやがて担任が教室に入ってきて、出席確認をし出しました。

そして担任は50代のおばちゃん先生で、私の名前を呼びましたが私の声が聞こえてなかったのか、私くんはやすみかとつぶやいた瞬間、前の席に座っていた明るく陽気なクラスメイトが、先生、私くんいるっすよ!とでかい声で伝えました。

担任はそうして私に気づくと目を大きく見開き、口を手で押さえて驚いていました。

そして目に涙を浮かべ、これは夢なのと呟きながら私を見ていました。


やがて卒業式の時間となり、私たちは整列してクラスごとに順番に体育館に向かいました。

この頃の学校は、どの学校でも生徒数が多く、私たちの学校は全校生徒1000人近いものでしたから、一斉に体育館に行くと混乱が予想されるためクラスごとに向かうものでした。

そして始まった卒業式。

まず開会の挨拶が始まり、来賓の挨拶、そして卒業証書授与式との流れとなり、いよいよ私の番になりました。

私は緊張でガチガチだったのですが、私はどうしても気になることがあり、その場の空気も読まず、TPOをわきまえないで校長から証書を渡されたタイミング、ステージの上で校長に、私は3年間ろくに勉強もせず、テストもいつも下から数えるくらい。部活も一度もレギュラーになったこともなく、挙句に今までずっと学校を休んできました。私は何もかもがイヤになって逃げてきた卑怯者です。そんな私が卒業なんてしていいのですかと尋ねました。

すると校長はゆっくりと私の話を聞き、マイクのスイッチが入ったまま答えてくれました。

「...ずっとツラかったね。でも、私くんは私くんなりに頑張ってきたんだね。中学の勉強は小学校より難易度が上がるし、部活だって頑張らなければなりません。私もね、学生時代にはテニスと勉強と頑張っていたけど、必死なんてものではありませんでした。もし学生時代をやり直せるなら、そんなものよりもっといっぱい遊びたかった。私くんはそうしてたった1人で頑張ってきたんだね。私くんは、充分卒業する資格はあると思いますよ。」

私は深く頭を下げてステージを降りました。


そうして卒業式は終わり、みんなで卒業おめでとうと書かれた黒板の前で記念写真を撮ったり、この後カラオケ行こうなどそれぞれが思い思いに過ごしました。

そして4月からは私は定時制の高校に通うのですが、それはまた別のお話。

ここまで見てくれてありがとうございました。


最後に、人生は戦うことだけが全てじゃなく、場合によっては逃げることも必要です。

別に大学に行きたかったわけでも、大手企業に就職したかったわけでもない私にとって、勉強をしたり周りとテストの点数競争をする環境は苦痛でした。

自分で決めてきたわけでもないのに、なぜこんな苦痛を強いられなければならないんだとずっと悩みました。

しかし、その度にはげまされ、慰めてくれる周囲の優しさ、こんな私を思うクラスメイトの優しさには深く考えさせられるものがありました。

私にとっての中学生活は、大変有意義なものでした。