2011.3.11…
忘れもしない。まだ鮮明に覚えている。

私の家は神奈川県県央地区ですが、震度5強でした。

春の陽気で暖かくなってきた金曜日。

当時、さなは小学3年生、ちーは1歳。
さなはホームルーム中、私とちーは家でおもちゃで遊んでいました。

そこに、あの大きな地震。
最初は震度3くらい。数秒後にはだんだん大きくなり、震度5強の大きな横揺れがとてもとてもながーーーーく続いた。

瞬時に、ちーを目の前のコタツテーブルに潜らせた。ちーは怖かったんだろうね😭大泣き。
手を繋いでずっと声かけていた。私も怖かったし。

ダイニングのテーブルは高さがあって良いのだけれど、大きな食器棚の目の前にあって、「倒れてきたら💦」と思って、低いテーブルに入ったのです。

その後の停電、そして、テレビで大津波警報。
テレビ局は続々とヘリコプターでの海の様子を中継していた。


さなは15:00下校のハズなのに、なかなか帰ってこない。
当時はまだ学校からメール連絡というものがなかったので、学校へ迎えに行くべきか、行ってる途中に入れ違いで会えなかったら…とか色々考えて、近所のお母さんたちと、「行かない方がいいね。余震もあるし。」と、学校からの連絡を待つことにした。

家でテレビを見ていると、何回か余震がきた。
その度にテーブルに潜った。

17:00過ぎだったかな?
さなが登校班のメンバーと、先生と一緒に帰ってきた。

ようやくホッとしていたら、今度はテレビで、あの大津波の映像が流れる。

私には、盛岡に住む叔母さんと福島県いわき市に住む叔母さんがいたので、繋がらないケータイ電話を握って、泣きながら祈ってました。
あの衝撃映像はいまだにトラウマです。
今も海には近づけないです。

旦那さんは、通話は繋がらないけれど、なんとかメールで無事を確認しあいました。
旦那さんは車で30分ほどのとこに通勤しているのですが、車を使用して帰宅することはできなかったので、なんとしても帰ろうと、4時間かけて歩いて帰ってきました。


その夜は、何度も余震があり、その度にケータイが緊急地震速報のあの怖い音が鳴り、何度も起こされた。
あの日から今も、旦那と私とちーは3人で1階で寝ています。(さなは来年度大学受験のため、最近2階にうつりました。)

それまでは2階でそれぞれの部屋で寝ていたけれど、計画停電のときみんなで寝ていた方のが節電できていたからね。


あの大きな震災から8年。
時が経つにつれ忘れていく危機感。備え。

家では1年に1回、3.11には震災を話し合うようにしています。
忘れないように。
これからもまた来るであろう災害のために。