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『小説日本書紀36安康 安康暗殺の背後に氏族間の抗争』序言より
〈安康紀〉は血なまぐさい暗殺事件で覆われている 前回の『小説日本書紀35允恭 カカァ(忍坂大中姫)天下の允恭朝』では、宿禰という称号が臣下のものであることから、大王位は夢また夢であったはずで、兄たちからも軽侮された存在の雄朝津間稚子宿禰(允恭)が、妻の忍坂大中姫の野望によって大王に就任したことから、忍坂大中姫の尻に敷かれた存在であったろうことを明らかにした。
その允恭擁立には百済から渡来した弓月王グループも加担したであろうことも明らかにし、また、忍坂大中姫は、アマノヒボコ(天日槍)の後裔氏族である息長氏族と深い関わり合いがあることも明らかにした。その背後には新羅の支援があったことも明らかにした。
安康の和風諡号は穴穂と極めて短いもので、穴穂は穴太とも書かれ、伽耶諸国の安羅にも通じるということだ。その穴太は、アマノヒボコ集団に通じる地名でもある。穴穂はまた、鉄鏃のことだとされている。
銅器文明から鉄器文明へ進化したというのが通説であったが、最近の研究では、ギリシャやローマの青銅器文明と、スキタイの鉄器文明とが併存していたことが明らかにされた。鉄器文明を携えた遊牧民が東へと移動し、アルタイ山脈のある中央アジアで二手に分かれて、一方はさらに東へ進んで韓半島へ、一方は南に下って中国方面へ移動したという。
青銅器文明を保持する種族と鉄器文明を保持する種族が同時期に、韓地から倭地に渡来したと考えても不自然ではない。そうしたことが、穴穂という語句に隠されているのか。
とまれ、安康の在位年数は即位と死亡年度まで合わせても3年間に過ぎず、治績もほとんど見られない極めて短いものだ。〈安康紀〉の多くは、木梨軽王子の死、大草香王の災厄、眉輪王の父の仇、市辺押磐王を謀殺という血なまぐさい暗殺事件で覆われている。
その暗殺の数々を記す〈安康紀〉に、何かが隠されているのか。それを追及していきたいと思う。
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