そもそも私の父親が誰かわからない。

父親の欄に名前が書いていない。

いかに母親が奔放な人だということがわかる。

 

むかし、親戚に聞いたり、ネットで調べたり、電話をして確認しておぼろげながらわかったことがある。

 

私の父の名前は中里正三。奥さんがいる。

新井田小学校で学校の先生をしていたということ。

ここは電話をして調べた。

 

妹の名前は音喜多礼子。こちらも母との不倫で生まれたので音喜多は父親の名前だと思う。

 

弟は母の戸籍には今でもあるが、生まれてすぐ貰われた相手の戸籍に実子として届けられていると思う。

この弟のことは物凄く調べた。

岩手松尾鉱山で斎藤喜八という名前が出てきた。養子先だと思う。

弟の名前は和喜。実子として届けられているらしい。

山谷源蔵が母との相手で小樽という地名も出てきた。

国立療養所に入院していた時母が炊事係としていてできたらしい。

30年前に調べたので記憶が曖昧だが、どうして次から次と不倫をして子供を作って一人も幸せにさせてあげなかったんだろう。

 

今だったら孤児院行だが、幸いなことにいい養子先や相手の奥さんがいい方で妹は引き取られた。

 

母の晩年は私が手元に引き取ったが、とてもおとなしくなっていた。

私の方が長年の恨みで多少冷たく当たったかもしれない。

それでも今は恨みつらみもない。

 

今は子供にも恵まれて幸せに暮らせているのでもう少しこの世で頑張って日々を過ごそうと思う。