8/31(月) ウクレレ・レディ
私は世界地図を見るのが好きで、ちょっと気になる国があるとその国の位置や詳細を調べたりしている。


そして地図を眺めていてあることに気がついた。


 ロシアの飛び地「カリーニングラード」
まずこの国の位置を!

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カリーニングラードは元来ドイツ領の「ケーニヒスベルグ」であったが、第二次大戦時にソ連軍に占領された後、1945 7 月のポツダム会議において
連合国間で地位を特定する正式の合意がなされるまでの間暫定的にソ連支配地となることとされた。


「正式の合意」は曖昧なまま現在に至っている。現時点でカリーニングラードにつき領土要求を行っている国はない模様である。


「飛び地」カリーニングラード
「飛び地」とは言っても、ソ連時代は大きなソ連の一部であったので特段の問題はなかったが、1991 年にバルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)やベラルーシが独立国となったことによりカリーニングラードは本当にロシアの「飛び地」となった。


2001年のラーケン合意により、ポーランドおよびリトアニアのEU加盟が2004年にも実現する。そうなればカリーニングラードはEU諸国に取り囲まれ「飛び地」としての問題が一気に本格化する。


第二次世界大戦後、東プロイセン(ポーランド・ロシア・リトアニアの一部)は分割され、北半分はソビエト連邦の、南半分はポーランドの領土とされた。
それを受けて、すぐにケーニヒスベルク特別管区が設置され、ケーニヒスベルク州としてソビエト連邦に編入された。


1946カリーニングラード州と改称。1947までに、残っていたほぼすべてのドイツ人住民はドイツに追放された。


戦後、カリーニングラード州はソビエト連邦でも特に軍事施設の集中した地域となり、「ソビエトの不沈空母」とさえ呼ばれた。


ソビエト連邦崩壊以後
1991以降、約12,000人のドイツ人がカリーニングラード州内に移住することを試みたが、ほとんどは数ヵ月後に再びドイツに移った。


カリーニングラード州の住民は、ロシア本国の住民と同様に、周囲のポーランドやリトアニアへの入国のためにビザが必要である。


また、カリーニングラード州の住民がロシア本土に入るためには、リトアニアを列車で通過することになるので、リトアニア大使館から許可を得る必要がある。


カリーニングラード市の周辺の地域は、ソビエト政府が巨大な軍事施設を設置していたために、50年間ほど完全に封鎖されていた(いわゆるZATO閉鎖都市))。


冷戦の終結以後、その軍事施設の規模や環境破壊の深刻さが次第に明らかになってきている。


本土から遠く西に離れたカリーニングラード州は、ロシアの対NATO軍事戦略にとって重要な位置にある。ミサイル防衛構想への対抗策として短距離弾道ミサイルイスカンデル」を配備する計画を度々表明している。


経 済
カリーニングラード州は、軍事拠点として、また不凍港として、ロシアにとって重要な地域である。大規模な造船場や、自動車の組立工場もあり、漁業が盛ん。
しかし、周囲の国々や、ロシア本国からの隔絶した地理的環境が大きな足かせとなり、輸出の不振や高い失業率が問題となっていた。


だが最近リトアニアへの越境審査が簡略化され、それ以降は高い成長を維持している。また、バルト海で発見された油田に期待が持たれている。


カリーニングラード州は世界のコハク(琥珀)の90%以上を産する。ヤンタルヌイ市にコハクの加工工場がある。


 ドイツもポーランドも自分の土地だ、と騒がないところが偉いね。