アメリカでは当然の如く行われている分業制。
例えば、ハリウッド映画のエンドロールを注意深く観ていると割とアタマの方(主要スタッフ)に「Music by John Williams」等と出て来て、中盤くらいに「Orchestrated by Herbert Spencer」という表記が来たりする。

これは、ジョン・ウィリアムズがオーケストレーションができないという事ではなく、元から仕事を分配する仕組みが確立しているのである。(但し、作曲家がオーケストラに精通きていない、もっと上手く出来る人が居るからというケースもある)

日本は慣習としてこういった縁の下の力持ちは全く表記されないことが普通である。
権利関係で揉めるから、下請けにだしいる様でイメージが良くない...。

そんな古い思い込みがあるのかもしれない。

しかし、実際に創作を続けているとどんな選れた作曲家にも得意・不得意があることが分かってくる。
旋律に興味がある人、和音進行に興味がある人、サウンドにこだわる人、大まかな構成を把握すれば満足する人、ある特定の楽器に特化している人など。

挙げて行けば切りがない。

勿論、結果的にはピアノ・ソロでも売れるときもあるし、熱心に作り込んだサウンドが全く見向きもされないこともある。

日本の商業音楽の中でも「歌もの」といわれるジャンルはここ暫くの間は「秋元康グループ」か「ジャニーズもの」のアイドルを対象にした作曲以外の案件はほぼお金にならないので、商業系統の作曲家達はここを目指す場合が多いのである。(劇音楽/劇伴を除いて)

必然的に競争率も上がり切磋琢磨されるのは素晴らしい事だがこれも長年続くと、どこか予定調和になってくるのである。

突拍子もないサウンドのものや、芸術性(私はアイドルものにもあると思う)の追求が疎かになるため、特定のファン層しか聴かないものをひたすら作り続けるような滑稽な状況になってきている。

勿論、一人で全てを完結することがバッハ以来「優れた作曲家」の条件であることに変わりはないのだが、これだけ情報共有が簡単になった時代に無理をすることもなかろう。

得意分野が異なる人間同士を繋げて行くような仕組みをもっとオープンにしていく事が求められるだろうし、まだトータルには未熟な若手であっても機会は与えられる様な「育てる」仕組みは必要なのである。

最近は少しずつ、そういったアタマの柔らかい事務所も出て来ており、とても良いことだと思っている。

若い人も臆することなく、今出来ている事を積極的に見せて行くことを望んでいる。
実際に高校生でも採用されたりすることもあるのだから。
クラシックのコンテストは参加費を取られるが、少なくとも事務所のデモ審査は制作費を除けば無料である。
返事すら来ない事が「普通」だと思って作り続けた人間がチャンスを掴んでいく。