いかな旅好きな私でも、コスタリカでクルーズの楽しさを吹き込まれなかったら挑戦はしなかっただろう。目


 とりあえず、サン・ペドロのオリエントツアーに勤めていた日本人の方に、サンホセから往復の航空チケットとホテルチケットとクルーズチケットの一式を作ってもらった。この冊子をバウチャーと言うのも始めて知った。日本ではクーポンと言ってた。


 マイアミから3泊4日のカリブ海クルーズ。7万トンと言うでっかいファンタジー号、この会社の特徴は船の上にある赤い鯨の形をした尻尾のマークである。



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 うろうろしながら乗船、いつの間にか出航していた。スペイン語は勿論英語も話せない老夫婦、避難訓練なんか集合場所を探すうちに終わってしまっていた。

 気がついたら、マイアミの運河?を進んでいった。4~5人の日本人の女性客も乗っていて、何回もクルーズを経験したとか。一度乗ると病み付きになるとの言葉どうり私達もはまってしまっている。 


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 夜にはナイトショーを楽しんだ。ダンスショーなら言葉は関係なし。

 翌朝、ナッソーに着いた。オプショナルツアーで市内や水族館見学で過ごした。ナッソーにもう一泊して出航。


 最後の夕食はメキシコスタイル、ウエイターはメキシコスタイル、首にレイや頭に冠をかけさせられた客、またマリアッチの登場、料理よりもエンターテイメントで楽しませてくれた。気さくな人が多く、会話が出来なくても気兼ねなく食べれた。

 
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 今年の春、3泊4日の日本のクルーズに乗った。

 料理は行き届いて、きめ細かい気配りは良く皆さん粛々と食べていた。話しかけた時、話題が豊富で話し上手な人と同席すれば気がまぎれるが、今回はそうでなかったので気詰まりを感じ、しだいに夕食に行くのが億劫になった。 
         


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 サンホセ市展は1986年以来、毎年1月末に開かれていた。ブログで紹介しょうと思ったが、開かれないので不審に思ったところ、3月16日~23日にあることを新聞で知り、早速写真を撮りに久しぶりに訪問した。 ニコニコ

 場所は岡山駅の西出口近くにある「まちかどサンホセ美術館」


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 美術館のオーナーは建築家の河原氏で、1973にサンホセ市に訪問した際、サンホセに魅せられ帰国後毎年サンホセ市展を開いたり、岡山サンホセ交流協会を立ち上げたり、交流に尽力されてこられた。

 
コスタリカ回想録  コスタリカ回想録 

 写真は展示物に一部。


 私がサンホセに行く事が決まった時、どんな所か不安に思っていた時、新聞でサンホセ市展を知り、岡山市と姉妹都市縁組を組んでいる事を知った。


 お陰で、サンホセ市長夫妻の岡山訪問やサンホセ市の園芸関係の職員2名を研修生として岡山市が受け入れる手伝いをした。


 その職員がサンフランシスコ・デ・リオスにある岡山公園の設営に携わったであろう公園が今どうなっているか、私が関心を持っ理由の一つである。


 岡山市役所国際交流課も開店休業中か、情報が無く中々様子が分からないのでもどかしい。



にほんブログ村   ご覧頂有難うございました。久しぶりにブログを書きました。

 ブログ「コスタリカ回想」は滞在中に撮った写真を拠り所として資料や記録を探して書いてきたが、その写真も底をつき1月の末でカッコ良く?えっ「完」と書いて終止符を打つつもりだったが、つながりを切りたくないと思い直して完の字を消した。


この写真は東洋紡と丸紅とコスタリカとの合弁会社のティカテックス社でサンタマリア空港に行く途中のサン・アントニオデ・ベレンにある織物工場である.当時は、唯一の日本企業と言っても過言ではない。

 1990年で25周年記念をお祝いした時に頂いた記念品である。現在も存続しているならば相当な歴史ある会社であろう。


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 その後、2ヶ月間 フェイスブックやツイッターでコスタリカのつながりを求めたが、不慣れのせいか、サンホセ日本人学校しか見つからず、しかもつぶやいても反応は無く今のところ頓挫している。


 情報と言えば、以前はラ・ナシオンの日本語版があったがマイナーな国のため読者が少ないのか開店休業中。 

 今のところ、http:www.ticotaimes net /comを開いている。写真は見れば分かるが内容となると英語が邪魔している。


 ブログだったら幾人かの方が開いてくだっさていたので、舞い戻ってきた。その理由付けに何か無いかと探していたところやっと見つけた。次回に紹介。



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