師走になりました。



この一年を振り返ったり、反省したり、自分なりに総括する月です。




一昨日12/2、愛知県小牧市にある福厳寺で火渡り神事が行われるというので、行ってきました。




火の中を渡るとは、どんな感じなのか?

一度体験してみたい。




福厳寺のあきば大祭とは540年もの間一度の事故もなく続いてきたそうです。




一年を締めくくり新年に向けて、心を清めて決意を新たにする。




仏教でいう三毒があります。貪瞋癡(とんじんち)。




貪-欲望(もっともっとと貪る心)

瞋-怒り(欲望が叶わないと怒りが生まれる)

癡-無知




怒り、妬み、恨みそんな心を火によって焼き払い心身ともに清める。

燃え盛る、火の中を渡ることで、一年のけがれを焼き払い心身を清める。




物理的な火の恐さを自身の体で体感し、謙虚さを取り戻す。



自身の心の火(欲望・怒り・無知)を見つめ、それに惑わされないそんな強い精神をもつ。




日中は、写仏をしたり大愚煮を食べたり、FM整体を受けたりして火渡り神事が始まるのを待ちました。




行列に並びながら、空が移り変わるのを眺めていました。青い空から、日が落ち、夜の帳が降りるまで。、寒さがだんだんと身体の奥まで沁み込んできました。




サ・厶・ィ







鐘の音で始まりました。




闇と炎。厳かな空気。




夜の世界の暗さ、闇は必須な舞台設定ですね。







火がつくと、ぼわんと勢いよく炎が高く立ち昇っていきました。少し離れたところに立っていたので、火の暖かさが身体にはやさしかった。



炎はまっすぐ高い夜空へと吸い込まれていきました。








大愚和尚から一つのマントラを教えていただきました。



「唵毘羅毘羅乾毘羅乾能裟婆訶」(オンピラピラケンピラケンノウソワカ)




真言、呪文。

音の響き。

手を合わせて何度も唱えて口に馴染ませ、練習。



口に出して唱えても、心の中で唱えてもいいらしい。忘れないように繰り返しながら、火渡りする人を眺めていました。
















前に並ぶ人々が皆何事もなく歩き渡るさまを見ていると、たぶん大丈夫なんだなと落ち着きます。



渡る順番があと3人目くらいになった時に、お寺の人から顔が熱くなっても立ち止まらずに歩いてくださいという声がかけられました。



顔が熱いのか、でも躊躇している時間はなく

手を合わせ、マントラを唱えながら火の中に入りました。




火の中に飛び込んだ途端に炎の立ち昇った熱さに一瞬身体も気持ちも怯みそうになるのを払い除けるように歩みを前へ前へと。



顔が熱かった。

一気に渡り切った。



火はやはり恐ろしい、怖いものだと体感。




ほんの数秒の出来事だったけれども、いい体験をしました。




渡りきった安堵感と火から抜け出たほっとした感覚。




しばらくの間、火の中を渡った興奮と顔が熱かった感覚が残っていました。




私たちが生きていくうえで必要な火。

便利な火も扱い方次第で危険で恐ろしい側面も持ち合わせています。




私の心の中の三毒も上手くコントロールしていくそんな智慧が必要です。





「唵毘羅毘羅乾毘羅乾能裟婆訶」(オンピラピラケンピラケンノウソワカ)



時には唱えてみよう。