ベース@さくら さくら(Cherry blossom)
記憶が正しければ小学校の音楽の教科書等の資料や楽譜ではコード3つくらいの味気ない伴奏アレンジだった気がしますもんで、桜にまつわる恋物語、切ない言い伝え、諸行無常を勝手に妄想し、メロディーをそのままにコードをアレンジしてみました。
咽声忠左衛門 -矢櫃井堰-
現在は土師ダムの湖底になっている,上・中土師(安芸高田市八千代町)には水量の多い土師川が流れていても,この水を水田に利用することができず,谷から出るわずかな水を利用するに過ぎなかったので連年旱害を被り,住民の困苦はその極みに達していました。
そこに身を挺して立ち上がった土地の農民,忠左衛門が1662年(寛文2年)秋,まず土地の同士に呼びかけて,上流の矢櫃(やびつ)に井堰をつくり用水の溝を造ることになりました。
しかし筆舌に尽くせない難工事で同士から苦情が起こり,一人去り二人去りついに忠左衛門はただ一人で初志を貫徹しようとコツコツ工事を進めていきました。
特に工事の難所は高さ30メートルの絶壁が400メートルも続いている鼻ぐり岩でした。村人はこれを見て時の庄屋石井屋太兵衛に訴えました。庄屋は,土師地域の人数でできるような工事ではない,と忠左衛門に工事を中止するよう申し渡しましたが,忠左衛門は中止しなかったため,庄屋は非常に怒り,「農民を惑わす者」という理由で忠左衛門を捕らえ,手枷足枷をし,その上幅6センチ余もある鉄輪で首枷までしました。手足だけは後にはずされ,首枷はそのままでした。汗と飛び散る石の粉で首枷が擦り切れて大きな傷になり声はかすれて出なくなり,村人からは「咽声忠左衛門」と呼ばれるようになりました。

忠左衛門は心労のあまり骨と皮とにやつれましたが,これくらいのことで初志を変えるような人ではありませんでした。
ある年のこと,忠左衛門は庄屋と権現山に登って「万が一この工事が不成功に終わったら私の命を差し上げますから工事の進行をお許しください」と訴えました。これを聞いた庄屋は「あんな無謀な設計で水が来るものか。できるものならやってみるがよい。もしおまえの目的がくるったら命をもらおう。そのかわり目的が成功したら私の首を差し上げよう」と二人は約束を交わし,工事の進行を許されました。
忠左衛門は所有していた50アールばかりの農地をほとんど投げ出して人手まで雇いましたが工事はなかなかはかどりませんでした。
ところが隣村山県郡南方村の庄屋五郎右衛門が忠左衛門の行動に感激し工事の費用のほかに石工・人夫や食料を送って力添えをしました。工事ははかどるようになり,3年目の1665年(寛文5年)の春には溝に水が流れるようになりました。こうして水路の延長約8キロメートルにおよぶ18.6ヘクタールが灌漑され,忠左衛門は村の恩人としてあがめられるようになりました。
現在も彼の功績は土師ダム沿いに立てられた咽声神社に残されています。
素晴らしすぎる
(:_;)
誰も知らない泣ける聖人です
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=bass_lesson
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