今年も暑かった8月が今日で終わる。
ここ数年、旧盆に亡き母の実家を訪ねるのが習慣となっている。
田舎の仏壇は大きく、金箔が施され神秘的な輝きがある。
天井近くには代々の遺影が並んでおり、その中に母方の祖母、兄と並んで出征時の服装で撮られた母の弟の遺影がある。
「戦争に行くことが親孝行だ!」と言って20歳を前にして志願して当時の南方のどこかに派兵され帰らぬ人となった。
亡骸は帰ってくることはなかった。
一度も会うことのなかった叔父のこのような選択肢は当時の教育の流れの中に至極、普通だったのだろう。
中学校の頃、家族で夕食の卓を囲みながら戦争ドラマの戦闘シーンを見ていた母が「吾一(弟の名)はこんな死に方をした・・・」といって突然涙をこぼしたのだ。
母の涙をこの時初めて見た。
実の母が亡くなった葬礼の席でも気丈に努めていて涙を見せなかったが私の見ないところでは涙を流していたのだろう。
戦争は悲しみを増幅させ、決して人を幸福にしない。
母の涙が私にそれを教えてくれたのだ。もちろん今も忘れることはない。
昨年、92歳で逝った父は招集されて朝鮮と満州国境近くへ騎馬隊として出兵し、一度も戦場に行かず終戦前に船で九州に帰還し、自宅で終戦を迎えたと話していた。
今年も終戦記念日となる8月のお盆時期、テレビでは太平洋戦争をテーマにした番組をやっていていくつかを見た。
私を含めて戦争の悲惨さ、痛みを知らない世代が中心となってきた時代だからこそ風化させてはいけないためにもこうした番組は必要だろう。
その中で1944年、パラオ諸島ペリリュー島の戦いで追いつめられて行く日本軍によるゲリラ戦の様子は実録映像を含めて初めて知り、戦争は狂気を生み、狂気が常軌となるとの恐怖感を覚えた。
日本は70年近く直接、戦争することはなかったがそれは今の憲法があったからこそと言われる一方、安保の傘下のお蔭といった見方もある。
集団的自衛権の閣議決定に端を発し、戦争を身近なものとして捉えての論議が活発で結局は閣議決定された。
「戦後レジームからの脱却」とは極端に言えば平和憲法を変えて戦前の危うい時代に戻ろうという狙いが本音なのか。それが強い国になることの方策なのか。
「アメリカが世界の警察ではない」とオバマ大統領の宣言があった。
ならばアメリカに頼らず、自国を強い国にしようとの流れなのか。
仮想敵国への抑止力との言葉の裏を返せば一方でそれが刺激剤となって争いを誘発仕掛ける要因となるであろう。
戦争を知らない世代として生まれ、高度成長期の真っ只中で育ち、社会人となってもノンポリで過ごし、平和という豊かさを享受して大きな苦労もせずにこの歳になってしまった。
遅ればせながら改めて近代史を振り返り、多方向から自分自身がある程度納得の行く答えを探して行かなければならないと気付かされた暑い夏も終わりとなる。




























































